よく晴れた土曜の朝、近所のスーパーマーケットまで自転車で往還。日射しも吹く風も初夏そのもの。陽光がじりじり照りつけ日蔭が嬉しく感じられる。ヘンデルではないが「懐かしい木蔭」と言いたくなる。
こんな日にはやはりエルガーだろう。少し前に手に入れ、折に触れて愛聴しているアルバムの話題を三つ。
"Elgar: The Dream of Gerontius -- Sea Pictures"
エルガー:
歌曲集《海の絵》
オラトリオ《ゲロンティアスの夢》*
メゾソプラノ/サラ・コノリー
テノール/ステュアート・スケルトン*
バス/デイヴィッド・ソア*
アンドルー・デイヴィス卿指揮
BBC交響楽団
BBC交響合唱団*2014年4月3~5日、クロイドン、フェアフィールド・ホールズ
Chandos CHSA 5140(2) (2014)
→アルバム・カヴァーシャンドス・レーベルに英国音楽をたて続けに録音しているアンドルー・デイヴィス卿が満を持して取り組んだ大作《ゲロンティアス》。彼にとっては初録音だ。ただし今日はちょっとへヴィなので遠慮して、併録された《海の絵》だけを聴こう。初夏の朝にこれほど似つかわしい音楽はまたとないからだ。
独唱のサラ・コノリーにとっては《海の絵》は二度目(2006年にサイモン・ライト指揮ボーンマス交響楽団と組んだNaxos盤があった)。わざわざ比較したわけではないが、さらに円熟味の加わった威厳ある歌唱である。創唱者クララ・バット以来の《海の絵》録音史上、優にジャネット・ベイカーやモーリーン・フォレスターに比肩しうる、繰り返し味わうべき名演だろう。
秋になったら《海の絵》と《ゲロンティアス》を続けざまに通して聴こう。奇しくも同時期の作、なにしろ作品番号が連番(op. 37と38)なのだから。
"Elgar: Piano Quintet -- Sea Pictures
-- Orchestrated by Donald Fraser"
エルガー (ドナルド・フレイザー編):
ピアノ五重奏曲 (管弦楽版)*
歌曲集《海の絵》 (合唱と弦楽合奏版)**
ケネス・ウッズ指揮
イギリス交響楽団*
イギリス室内管弦楽団**
ルドルファス合唱団**2015年10月9日、バーミンガム、エルガー・ホール*
2013年7月31日、ロンドン、アビー・ロード・ステューディオズ**
Avie AV2362 (2016)
→アルバム・カヴァードナルド・フレイザー(1947~)という作曲・編曲家については寡聞にして知識がない。この二作の編曲がなぜなされたのかも知らないが、ピアノ五重奏曲の管弦楽版はかなりよくできている。《エニグマ》や第二交響曲を参照したのであろう、ほうぼうでエルガー的な渋い響きがする。ノビルメンテといいたくなる。
一方の《海の絵》はやはりオリジナルには及ばないというべきか。合唱と弦楽合奏という編成は意表をつくものだが、原作の微に入り歳を穿つエヴォカティヴなオーケストレーションは唯一無二、かけがえのないものだと痛感する。
"Elgar Remmastered by Lani Spahr
-- includes previously unissued takes in reconstructed stereo"
エルガー:
チェロ協奏曲 (ほぼステレオ収録) a
《コケイン》序曲 (モノーラル+ステレオ収録) b
《王国》前奏曲 (モノーラル+ステレオ収録) c
ローズマリー (ステレオ収録) d
マズルカ (ステレオ収録) e
五月の歌 (ステレオ収録) f
抒情的セレナード (ステレオ収録) g
組曲《青春の杖》第二番 より 行進曲 (ステレオ収録) h
"O God our help in ages past" (クロフト作曲、ステレオ収録) i
チェロ協奏曲 (第二~第四楽章、別テイク、ステレオ収録) j
チェロ協奏曲 (第二~第四楽章、別テイク、ステレオ収録) k
チェロ協奏曲 (第二楽章、別テイク二種、ステレオ収録) l
チェロ協奏曲 (第一~第三楽章、別テイク、モノーラル収録)m
チェロ協奏曲 (アクースティック旧録音、モノーラル収録) n
チェロ協奏曲 (第三楽章、ピアノ伴奏、私家版、モノーラル収録) o
交響曲 第一番 (別テイク、モノーラル収録) p
交響曲 第二番 (第三楽章の一部分、別テイク、モノーラル収録) q
ヴァイオリン協奏曲 (部分的、別テイク、モノーラル収録) r
《エニグマ》変奏曲 より
R.P.A.、イゾベル、トロイト (別テイク、モノーラル収録)s
《カラクタクス》より
勝利の行進曲 、森林の間奏曲 (別テイク、モノーラル収録) t
《夢の子供たち》第一番 (別テイク、モノーラル収録) t
ローズマリー (別テイク、モノーラル収録) d
抒情的セレナード (別テイク、モノーラル収録) g
セヴァーン組曲 より 馬上試合 (別テイク、モノーラル収録) u
マズルカ (別テイク、モノーラル収録) e
《青春の杖》第一組曲 (別テイク、モノーラル収録) v
《青春の杖》第二組曲 (別テイク、モノーラル収録) h
《聖ゲオルギウスの旗幟》より
"It comes from the misty ages" (別テイク、モノーラル収録) w
英国国歌 "God save the King" (別テイク、モノーラル収録) x
エドワード・エルガー卿指揮
新交響楽団、ロンドン交響楽団、BBC交響楽団
フィルハーモニー合唱団
チェロ/ビアトリス・ハリソン (a, J~n)
ヴァイオリン/イェフディ・メニューイン (q)
ピアノ/ヴィクトリア・アレグザンドラ王女 (n)a, j~m=1928年3月23日、6月13日、キングズウェイ・ホール
b=1933年4月11日、アビー・ロード、第一スタジオ
c=1933年4月11日、アビー・ロード、第一スタジオ
d=1929年11月7日、スモール・クィーンズ・ホール
e=1929年11月8日、スモール・クィーンズ・ホール
f=1929年11月7日、スモール・クィーンズ・ホール
g=1929年11月7日、スモール・クィーンズ・ホール
h=1928年12月20日、キングズウェイ・ホール
i=1928年2月3日、クィーンズ・ホール
n=1919年12月22日、1920年11月16日、ヘイズ
o=1928年8月20日
p=1930年11月20~22日、キングズウェイ・ホール
q=1927年7月15日、クィーンズ・ホール
r=1932年7月14、15日、アビー・ロード、第一スタジオ
s=1926年4月28日、クィーンズ・ホール
t=1934年1月22日、アビー・ロード、第一スタジオ
u=1934年4月14日、アビー・ロード、第一スタジオ
v=1928年12月19日、キングズウェイ・ホール
w=1928年2月3日、クィーンズ・ホール
x=1928年2月3日、クィーンズ・ホール
Somm SOMMCD 261-4 (4CDs, 2016)
→アルバム・カヴァー凄いアルバムが出たものだ。この四枚組は驚くべき労作であり、エルガー愛好家ならば絶対に聴き逃せない。マスト・アイテムとはまさにこれである。
晩年のエルガーがHMVの求めに応じて主要作品をあらかた録音したのは広く知られるが、そのなかに「偶発的なステレオ録音」が含まれることが近年わかった。詳しくは別項記事(
→1933年「偶然の」ステレオ)をご参照いただきたいが、たまたま近接した二本のマイクで同時収録された、互いに微妙にバランスの異なる二種の音源が現存し、それらを同期するとかなり明瞭なステレオ効果が生じるのだ。我々は《コケイン》序曲の後半部分でそれを体験済である(香Naxos)。
事の発端はその「偶発的なステレオ録音」の《コケイン》序曲だった。これに触発されたSP覆刻の名手ラニ・スパー(Lani Spahr)は、エルガー協会の北米支部代表アーサー・レノルズ(Arthur Reynolds)に連絡をとった。レノルズの手元にはエルガーが所有していた自作自演レコードのテスト盤が数多く集められており、それらすべてを当時の正規盤と丹念に聴き比べ、同期させることで、同じようなステレオ効果が生じるか否か、根気強く検証したのである。
結果は驚くべきものだった。1928年にチェロ奏者ビアトリス・ハリソンが作曲者の指揮で録音した有名なチェロ協奏曲の録音の大部分がステレオで聴けるようになったのである。このときHMVは近接した位置に二本のマイクロフォンを立て、それぞれが捉えた音をそれぞれ別のカッティング・マシンに接続し、微妙に異なる二種類の原盤に刻み込んだらしい。なぜそうしたかは詳らかでないが、収録中の不測の事故に備えるための安全策ではないかといわれている。
この録音風景を捉えた写真は現存しないが、別の機会(1931年5月23日、キングズウェイ・ホール)でのセッション時の写真(
→これ)にはエルガーの傍らに二本のマイクが近接して置かれ、オーケストラ後方に三本目のマイクが下がっている(写真の左上隅)のが見える。収録に複数のマイクが用いられた物証である。
こうして再構成された音をヘッドフォンで聴いてみると、分離はやや曖昧ながら、確かにステレオ的な拡がりが感じ取れる。中央やや左方に独奏者が位置し、オーケストラは左からヴァイオリン、右からチェロ(および金管楽器)、ほぼ中央に木管楽器が定位するのがわかる。既存のSP盤には左側のマイクの収録音が刻まれており、エルガー旧蔵のテスト盤には右マイクが捉えた音を記録したものが少なからず含まれていたのである。
ライナーノーツにスパー自身が記すところによると、二種類の音源の同期は技術的に困難を極め、気の遠くなるような試行錯誤を繰り返した果てに、ようやくステレオ効果が表れるようになったという。その成果は実に目ざましいものだ。とても九十年前の音とは思えぬほど響きが瑞々しく鮮明で、キングズウェイ・ホールの収録現場に立ち会っているかのような心地がする。
全四楽章のうち、第一楽章の後半(約三分半)だけは該当する音源がどうしても見つからず、従来のモノーラルのまま収録されているのだが、ここに差しかかった途端、それまでとの落差の大きさに驚かされる。いきなり三次元の空間は消え失せ、古色蒼然たるSP録音に戻ってしまう。それだけステレオの威力は大きかったわけで、第二楽章に入ると再び立体的な音場が眼前に拡がって「今、ここ」のリアルな聴取体験になるのがまざまざと実感できる。響きの鮮やかさに言葉を失う。
スパーの探索はここで終わらない。エルガー旧蔵のテスト盤のなかからチェロ協奏曲の別テイク音源を弁別し、それらを組み合わせて、現行版と異なるステレオ録音をさらに二種類(第二~第四楽章)、第二楽章についてはもう二種類のステレオ・テイクを再構成してみせた。微に入り細を穿つ徹底ぶりである。
彼はこのほかに(従来から知られていた)《コケイン》序曲の後半に加え、《王国》前奏曲の後半、《ローズマリー》《マズルカ》以下、いくつもの小品のステレオ音源を再構成してみせた。エルガーの指揮を生で聴くようなスリリングな体験だ。
(まだ聴きかけ)