一昨年の秋、本郷の古書肆「アルカディア書房」から連絡があり、松山文雄(1902~1982)が所蔵していたロシア絵本がまとまって市場に出たと告げられた。なんでも市場にはふた口(二つのグループ)が売りに出て、一方は戦前のロシア絵本、もう片方は戦後のロシア絵本だったそうだ。すべての絵本には「松山」の印鑑が捺され、同時に売りに出た品々から推察するに、どれも間違いなく松山文雄の旧蔵絵本と断定できるとのこと。
戦前のロシア絵本といえば芦屋の地に残された吉原治良旧蔵の八十七冊が広く知られるが(「幻のロシア絵本」展に並んだもの)が、ほかにも原弘、柳瀬正夢、光吉夏弥がそれぞれまとまった点数を所有していたことが知られ、すべて今では公的機関で大切に収蔵されている。
松山文雄は戦前のプロレタリア美術を語るうえで欠かせない存在であり、漫画家として童画家として、また宮本百合子や壺井榮らの著作の装丁家として、おびただしい仕事を残している。戦後も長く日本共産党と密接な関係をもち、むしろ御用画家と呼びたくなるほどの存在だった。
松山は1927年に日本プロレタリア芸術連盟の美術部員となるが、反戦ビラを街頭に掲出した廉で検挙された。31年には『ハンセンエホン 誰のために』を刊行するが、直ちに発禁処分を受けている。
1932年2月には安泰(やすたい)、前島とも、安井小弥太、福田新生らとともに「新ニッポン童画会」を結成し、「今日の兒童の現實と常に密着」して「生々とした、活動力に富んだ」童画の創出を標榜するが、牽引役だった松山は同年6月に治安維持法違反で検挙・投獄され、二年八か月も獄中にあった。
ざっとそういう経歴の持ち主だったから、松山文雄が同時代のソ連における児童文化に強い関心と憧憬を抱き、ロシア絵本を数多く蒐集していたのは不思議でもなんでもないが、官憲による家宅捜索や第二次大戦の戦火を潜り抜け、戦前の絵本が長く秘蔵されてきた事実には、やはり強く胸を打つものがある。命がけのコレクションと呼ぶべきものだろうから。
アルカディア書房が市場で落札した戦前のロシア絵本は全部で二十九冊あった。どれも保存状態はほぼ完好であり、松山がそれらを大切に扱ってきたことを推察させる。
売値はかなり高価であり(それが世界的な相場である)、しかも大半はすでに小生が架蔵するものと重複していたが、このように来歴のはっきりした戦前のロシア絵本がまとまって出現するのは、おそらく最後の機会だろうし、貴重なコレクションを散逸させるに忍びないから、と自分自身に言い聞かせ、清水の舞台から飛び降りる心境で、泣く泣く全点を購入した。全身打撲の大怪我を負って、しばらく起き上がれなかったものだ。
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アルカディア書房の店主は、もうひと口の戦後のロシア絵本には目もくれなかった由。それらの凋落ぶりをよく承知しているからだ。「そちらの山も同じく松山文雄の旧蔵絵本で、ざっと四十冊位あったかな。横浜で店舗を持たずにやっている女性店主が落札したはずだ」とのこと。
なるほど、たしかに戦後のロシア絵本はどれもこれも冴えない代物だが、松山文雄が手元に置いていたものとなると話は別だ。小生はその横浜の女性店主こと「古書リネン堂」に連絡をとり、戦後のロシア絵本(むしろソ連絵本と呼ぶべき低調な代物)もまとめて買い取った。全部で三十五冊あった。こちらも保存状態はほぼ完璧といってよく、ところどころタイトルや本文を邦訳した形跡があり、松山が熱心にページを捲った気配がありありだ。
メールのやりとりで「古書リネン堂」店主は気になることを書いてきた。「実はこのほかに松山旧蔵の戦前のロシア絵本があと三冊ほどあったのですが、どこへしまい込んだのか、いくら捜しても見つかりません」と。
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それから一年近く「古書リネン堂」からは音沙汰がなく、小生もこの件を半ば忘れかけていたところ、昨日(2月26日)のこと、店主からいきなりメールがあった。
曰く「昨年は松山文雄旧蔵のロシア絵本をお買い上げいただき誠にありがとうございました。不明となっておりました戦前の絵本三冊がようやく見つかりましたので、ご連絡させていただきました。大変遅くなりまして申し訳ございません」。
メールの添付ファイルには画像が三つ。書名は即座にわかる。
コルネイ・チュコフスキー作
ウラジーミル・コナシェーヴィチ絵
『大きなゴキブリ Тараканище』
1935
ウラジーミル・レーベジェフ絵
『馬に乗って Верхом』
1928
パウラ・フレイベルグ絵
『私たちのパレード Наш смотр』
1932
最初のチュコフスキー&コナシェーヴィチを除いて、保存状態が思わしくないのは、ほかの二冊が規格外の大判であり、そのぶん傷みやすかったためであろう。どの絵本の表紙にも、お馴染の「松山」印がくっきり捺されている。
ちなみに、『馬に乗って』は吉原治良と原弘が、『私たちのパレード』は原弘と小野忠重がそれぞれ所蔵していた。すべて神田神保町のロシア書籍店「ナウカ」(1932創業)が輸入販売したものと考えられる。今回の松山文雄旧蔵絵本もそうだと推察される。
店主のメールには「これが弊店に残っている松山さん旧蔵品のすべてです」とある。小生が直ちに購入を決断したのは言うまでもない。