昨夜は河﨑晃一さんのお通夜だったそうで、西宮の斎場は溢れるほどの参列者が集ったという。いかに多くの人たちから慕われていたかがわかる。昔の職場仲間も列席するというので、遺影に向かって「沼辺がたいそう悲しんでいる」とことづけてくれるよう頼んでおいた。きっと伝言は届いたはずだ。
いくらか逡巡した挙句、お通夜とご葬儀には出向かないことにした。なんといっても関西は遠いし、大勢が集まるような場も苦手である。ひとり在宅して彼の不在を噛みしめるほうがよほど性に合っている。
手元にかつて河﨑さんが書いたエッセイが載った小冊子がある。内容は「幻のロシア絵本 1920–30年代」展についての総括である。『萬巻』と題された大阪古書研究会の古書目録に、巻頭エッセイとして掲載されたものだ。ずいぶん前、彼から「こんなもの書きました」と頂戴した。
滅多に目にしない刊行物だろうから、その寄稿文から少し引用させてもらう。標題は「幻のロシア絵本――幻から実証へ――」という。
芦屋市立美術博物館は1990年の開館以来、地元に関係する美術家の作品とともに資料を収集してきた。それは、ひとりの美術家を紹介する時、作品評だけでなく人間性、交友、地域性をより深く知り、伝えていくためであった。日本の戦後美術史における最大の出来事である具体美術協会は、1954年に芦屋で生まれている。その作品と資料を追うことは、美術博物館にとって大切な地域の掘り起こしであった。その具体のリーダーだった吉原治良(1905~1972)のご家族の了解を得て、自宅にあった資料を預かったのは一〇年前の真夏だった。1930年代から集められた蔵書、趣味で撮っていた写真、書簡、具体関係の資料、案内状、新聞スクラップ、彼自身のドローイングなど多岐にわたる資料は、近代日本美術史そのものである。
今年春に芦屋市立美術博物館で開かれた「幻のロシア絵本 1920–30年代展」は、若い世代のロシアブームと重なり、好評を得ることができた。この展覧会の発端は、吉原治良の資料整理にはじまる。蔵書の中にロシア絵本87冊が含まれていたのである。初めて見たときの新鮮な感動は、今でも忘れることが出来ない。「これをいつかは展覧会にしたい」と思った。吉原自身も『スイゾクカン』という絵本を出版(1933年)していて、その影響のほどがうかがえる。まさに今、吉原治良が七〇年前に感動したように私たちも同じ感動を得るという不思議さが湧きあがる展覧会となった。
ひとつの展覧会を企画する途上では、いろいろな波及効果があらわれてくる。「幻のロシア絵本展」は、吉原治良の資料の発掘、調査、研究を発端に日本におけるロシア絵本の影響と広がりを明らかにした。今回の展覧会は、3年前に出会った沼辺信一氏の力に負うところが大きい。彼の学芸員としての経験と編集者としての知識がこの展覧会を可能にした。そして、芦屋市立美術博物館がプロデュースし、他館の学芸員、出版社、印刷会社、翻訳家、研究者の協力を得てそれぞれの持ち味を活かすことができた。自分の名前が出てくるので面映ゆくもあるが、展覧会の発案者からの貴重な証言である。このまま全文を引きたくなるが、ご許可を得たわけではないので、中間部分は割愛して、後半の結論部分を書き写す。
ロシア絵本の魅力は、何といってもその洗練されたイラストレーションの愛らしさにある。ロシアアバンギャルドの流れを汲む表現は、今も新鮮さを失わない。こどもたちの生活、楽しい知識、働く人々、自然、動物たちなどに目を向け、教育的、道徳的でありながら、ワクワクする内容を持っていた。そのテーマは日本だけではなくフランスにも大きな影響を与えたという。ソヴィエト社会主義の黎明期に絵本を通じてこどもたちの未来にかけた画家、詩人たちの全力投球の姿勢が伝わってくる。やがて1936年にはじまったさまざまな芸術弾圧の中、創造的な営みは排除されていく。ナチスドイツと同じように国家による芸術活動の弾圧のその後は、歴史が証明してくれる。
「幻のロシア絵本 1920–30年代展」は、展示された絵本のビジュアル的な魅力だけではなく、国家と制作者、人間が生み出す創造性を統制していくことの行く末など社会と芸術のあり方を示唆してくれた。ロシア絵本の歩みは、決して平和な結末ではない。いつの時代にも公的な力の文化継承に及ぼす影響が大きいことを教えてくれる。――『萬巻』第15号、大阪古書研究会、2004年10月執筆時期はおそらく2004年の夏か秋、「幻のロシア絵本 1920–30年代」展が芦屋市立美術博物館でスタートし、足利市立美術館を経て、東京都庭園美術館へと巡回し、多くの鑑賞者を集めていたさなか、もしくはその直後であろう。開催時期の半ばではあったが、すでに展覧会の成功がほぼ約束された段階での、まだ昂奮が冷めやらぬ、だが確信に満ちた書きっぷりである。
そもそもの発案者が展覧会に託した意図を明かしており、小生は河﨑さんがこれに類する文章を書いた例をほかに知らない。その貴重さゆえに、長々と引用させていただいた。どうかお赦しいただきたい。
文末で彼が「いつの時代にも公的な力が文化継承に及ぼす影響が大きい」と記す件りに、思わずドキッとさせられる。それから六年ほどのち、芦屋市立美術博物館で起きた忌まわしい事件(「指定管理者制度」導入で運営母体が変わり、学芸員全員が解雇された)を、まるで予告するように思えたものだから。