1958年のザルツブルクに、リーザ・デラ・カーサはリヒャルト・シュトラウスのオペラ《アラベラ》のタイトルロールとして登場した。すでにミュンヘンとウィーン、さらにロンドンでも彼女の演じるアラベラは絶賛を博しており、彼女は「アラベリッシマ Arabellissima」、すなわち「最美のアラベラ」の異名を取るまでに到る。アラベラは彼女の生涯の当たり役となった。
思えば彼女が抜擢されて1947年この音楽祭に初登場したとき、演目は奇しくも同じ《アラベラ》だった。アラベラの妹ズデンカに扮したのである。
すでに述べたように、そのときデラ・カーサの才能と美貌を称えて、シュトラウス自身が「この娘はいずれ私のアラベラになるだろう Die Kleine wird eines Tages meine Arabella sein.」と語ったという。それから十一年、作曲家の予言はザルツブルクでも現実のものとなったのだ。
7月29日、フェストシュピールハウス(祝祭劇場)でのプルミエ公演(カイルベルト指揮)はオーストリア放送協会によってライヴ収録され、四十七年の時を経て2005年、ついに初CD化されたのである(Orfeo C 651 053 D →これ)。
多くのシュトラウス愛好家と同じく、このCDの発売を心待ちにしていた小生は、入荷当日に早々とこの三枚組を手に入れた。
ただし、肝腎の《アラベラ》を聴くのは後回しにせざるを得ない。三枚目の最後に《四つの最後の歌》がフィルアップされているからである。同年のザルツブルク音楽祭、それも《アラベラ》初日の翌日、7月30日に同じフェストシュピールハウスで催されたウィーン・フィルの演奏会で、この歌曲集がプログラムに組まれたのである。その夜の曲目を記しておこう。
ウェーバー:《魔弾の射手》序曲
リヒャルト・シュトラウス:《四つの最後の歌》
ブルックナー: 交響曲第七番
指揮を務めるのはカール・ベーム。ウィーン・フィルともども、五年前にデラ・カーサがこの曲の史上初のLP録音を行ったときと全く同じ顔ぶれによる演奏である。
はやる気持ちを鎮めてディスクをターンテーブルに載せる。
静かな低弦の調べとともに「眠りにつこうとして」が始まる。素晴らしい。デラ・カーサの歌唱はあくまでも平明にさりげなく、しかし聴き手の心の奥深くにまで浸透する声だ。ベームの指揮も、ウィーン・フィルの演奏も、五年前のLPを大きく凌駕している。
そしてその次は・・・。
やっぱりそうだった。彼女が二曲目に歌ったのは「春」だった。そして「九月」「夕映えに」と続く(→これ)。
3. 眠りにつこうとして Beim Schlafengehen
1. 春 Frühling
2. 九月 September
4. 夕映えに Im Abendrot
これは1970年4月21日に東京で聴いたときと全く同じ曲順だ。小生の当夜のメモはやはり間違ってなかったのだ、と胸を撫で下ろす。
三十五年ぶりに、同じこの曲順でデラ・カーサの歌唱にしみじみと耳を傾ける。二度、三度と、飽くことなく繰り返し聴く。ああ、こんなにも素直な、さらりとした歌い方だったんだ、でもあのときは、さすがにここまで若々しい声ではなかったはずだが。
❖
こうして聴いてみると、《四つの最後の歌》はこの曲順で歌われるのが最も感銘が深く、詞の内容からみても理に適っているように思われる。
開巻一番、いきなり「眠りにつこうとして」で深遠な夜の瞑想へといざなわれ、そのあとは過ぎし日を回顧するように「春」を、そして「九月」を、走馬燈のごとく思い浮かべ、最後に壮大な日没を眺めながら、迫りくる死を静かに観想する・・・。
これこそが、シュトラウスの托した最後の思いを最もストレートに伝える曲順ではないのか。
刊行譜の「1/2/3/4」はあまりにも時系列に沿って進むため、どこか予定調和的なきらいが無きにしもあらず。ハッとさせるところが皆無なのだ。
いっぽう、世界初演時の「3/2/1/4」では、第二、三曲目で「九月」→「春」といわば時間が逆行してしまうのがいただけないし、晴れやかな「春」からいきなり終曲の「夕映えに」へと唐突に進むところに、なにやら越えがたいギャップがあるように思えてならない。
リーザ・デラ・カーサが選び取った曲順は、初演時の曲順の「九月」と「春」をただ入れ替えただけにみえるが、実は熟慮を重ねた末、従前の二通りの行き方を巧みに折衷した結果ではないだろうか。いわば両者を「いいとこ取り」した、変化と一貫性を兼ね備えた決定版ではないのか。1958年のザルツブルク実況を聴いていて、次第にそう思えてきたのである。
もしもこの時点で、デラ・カーサがベーム指揮のウィーン・フィルとともに同曲をステレオで再録音していたら・・・と、想像してみる。ひょっとして、シュヴァルツコップを凌駕するような名演奏となって、末永くスタンダードとなったかもしれない。そうすれば、この曲順もまた、多くの追随者が踏襲したはずである。
もちろん事実は相違して、デラ・カーサも、カール・ベームも、二度と《四つの最後の歌》を音盤に刻むことはなかった。彼女がたどり着いた「決定版」の曲順もまた、誰も継承せぬまま幻となり果てたのである。
デラ・カーサ自身、これを「決定版」と確信していたことは明らかである。だからこそ、十二年後の1970年に東京でデュトワと共演してこの曲を歌ったときも、同じ曲順に拠ったのであろう。
彼女にこの曲順を示唆したのは、ひょっとしてカール・ベームその人なのではないか。実のところ小生は密かにそう信じている。
シュトラウスの第一人者を自他共に任じていたベームは、試行錯誤と逡巡を経て、これこそ最も作曲家の意に沿った曲順と考え、それをデラ・カーサに提案したのではないか。
ベームは二度とこの曲をレコーディングしなかったのだが、実演ではときおり取り上げていた。
そのなかのひとつを、非公式のCD-R盤の形ではあるが、ディスクで聴くことができる。1976年8月というから、デラ・カーサの引退後、ザルツブルク音楽祭でアンナ・トモワ=シントウと共演し、ドレスデン州立歌劇場管弦楽団を指揮した貴重なライヴである(Link 609-1)。
驚いたことに、ここで採用された曲順は1958年のデラ・カーサとの共演時と同じ「3/1/2/4」。しかもこれが稀にみる秀演なのだ。
よく知られるようにトモワ=シントウはカラヤンの指揮でこの曲の正規録音を残しているが、そこでの曲順は通常の「1/2/3/4」であるところから、この1976年のザルツブルクで曲順決定のイニシアティヴを執ったのは、明らかに指揮者ベームのほうだったと推察される。
この曲順こそはベームとデラ・カーサが熟慮の末ふたりして創り上げた、究極の「最後の歌」だったのである。