昨2月2日はスイスの名ソプラノ歌手リーザ・デラ・カーサ(Lisa della Casa)の誕生日、しかも生誕百周年の当日だったという。情けないことに、せっかくの記念日をまるきり失念してしまっていた。
彼女こそは1970年に小生が生まれて初めて肉声を聴いた独唱者であり、そのとき耳にしたリヒャルト・シュトラウスの《四つの最後の歌》は、今や記憶の彼方で儚い影のような存在になってしまったが、それでも半世紀前に彼女の歌唱を通してシュトラウスに導かれたという事実は動かない。
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ソプラノ歌手リーザ・デラ・カーサは1919年スイスのブルクドルフ生まれ。1940年にスイスの片田舎の歌劇場で《蝶々夫人》を歌ってデビュー。
そのたぐい稀な才能と美貌は隠れもなく、戦後間もなく抜擢されて1947年のザルツブルク音楽祭に招かれ、リヒャルト・シュトラウスの《アラベラ》のズデンカ役で注目された。作曲者からもじきじきに「この娘はいずれ新しい『アラベラ歌い』になることだろう」と祝福されたという。ちなみに、このとき指揮をとったのはカール・ベームだった。
その後は50年代から60年代にかけてウィーン国立歌劇場とニューヨークのメトロポリタン歌劇場を拠点に活躍、《フィガロの結婚》の伯爵夫人と《薔薇の騎士》の元帥夫人、そしてシュトラウスの予言どおり《アラベラ》のタイトル・ロールを当たり役とした。《薔薇の騎士》ではゾフィー、オクタヴィアン、マルシャリン(元帥夫人)の三役をどれも見事に演じたことで銘記される。ドイツ歌曲も得意とし、リサイタルではシューマンとシュトラウスをレパートリーの中核に据えていた。・・・
・・・などという彼女の華々しい経歴は、1970年の時点で田舎の高校生の知るところではなく、「スイスの有名なソプラノ」という以外なんの予備知識もなしに、4月21日のコンサートに臨んだのである。ああ、嘆かわしい、猫に小判、豚に真珠とはこのことだ。大阪万博の関連企画「スイスの夕」。日比谷公会堂でスイスを代表する演奏家たち(オーレル・ニコレ、リーザ・デラ・カーサ、シャルル・デュトワ)が読売日本交響楽団と共演する。
デラ・カーサはこのとき五十一歳。デビューからちょうど三十年目に当たっていた。疾うに歌手としての全盛期を過ぎ、声からはかつての艶と輝きが失われつつあった。高音が苦しくなっていたのは、二十年前のフラグスタートや同時期のシュヴァルツコップと同じ衰えの兆候である。そのため60年代後半からはオペラやコンサートに登場する機会も目に見えて減少していた。
小生は知る由もなかったのだが、このときデラ・カーサが東京と大阪で催した数回の演奏会は、彼女のキャリアのほとんど最後を飾る貴重な機会となってしまうのである(そのため、NHKが収録した東京でのリサイタルの実況録音はのちにスイスでCD化されている)。
コンサート前半にオネゲル、マルタンというスイスの二大作曲家の作品が奏されたあと、休憩を挟んで後半はシュトラウスの《四つの最後の歌》、いよいよデラ・カーサの登場である。
絶世の美女という評判にたがわず、気品に満ちた美しさに圧倒される。気取らない物腰のなかに、自ずと優雅さが滲み出るといった感じだったろうか。さすがに三十七年前の記憶はもはや朧げで、脳裏に浮かぶ映像はすっかり色褪せ、彼女のドレスの色までは思い出せない。
現れただけで会場の空気を一変させるヒロインの風格に、息を呑んで呆然と見惚れるばかりだった。
若い指揮者デュトワのタクトがゆっくり振り下ろされる。
その瞬間、心臓が止まるかと思った。
聴こえてきたのは深々とした低弦のユニゾン。三曲目の「眠りにつこうとして」だったからだ。これは一体どうしたことか。何かの間違いではないのか。驚きのあまり周囲を見渡した。
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何がどうなったのか皆目わからず、咄嗟に手許のプログラムを見直す。間違いない。そこに記された曲目解説(渡辺学而氏)ではやっぱり「春」が第一曲になっているではないか。それなのに周囲の大人たちは驚きもせず、何食わぬ顔で舞台に見入っている。
オーケストラの短い前奏のあと、何事もなかったようにデラ・カーサはおもむろに「眠りにつこうとして」を歌い出す。
シュヴァルツコップのディスクで予習しただけで、この歌曲集の曲順に異同があることなぞ、つゆ知らなかった小生はただただ困惑し、てっきり指揮者が曲順を間違ったのだとばかり邪推したのである。
もちろんそうではない。デラ・カーサは1950年のフラグスタート独唱・フルトヴェングラー指揮による世界初演時の曲順を尊重し、1953年に同曲をスタジオ録音した際も、刊行譜とは異なる曲順、すなわち「眠りにつこうとして」から歌い始めていた。それから十七年たっても、彼女はこの方針を貫いていたのである。
その点を別にしても、デラ・カーサの歌う《四つの最後の歌》は、俄か勉強で聴き覚えたシュヴァルツコップの歌唱と甚だしく異なっていた。素人同然の聴き手である高校生の耳にもそれは明らかだった。
一言でいえば、後者が詩句の意味を隅々まで「語り」尽くそうとするに対し、前者はもっとのびやかに、さらりと「歌い」流そうとする。シュヴァルツコップの歌が限りなく「朗読」に近いとすれば、デラ・カーサの歌はあくまでも流麗なメロディたらんとする、といえようか。両者に優劣をつけてみても始まらないが、なんの力みも屈託もなく、平明に優しげに歌われる《四つの最後の歌》もいいものだなぁ、と感じつつ、ひたすら音楽に身を任せていた。
ただしデラ・カーサの声は万全ではなかった。高音はかなり苦しそうだったし、盛り上がる個所では声量に不足し、かすれがちだったと記憶する。数年後、彼女が舞台から引退したと聞かされたとき、やはりそうだったか、さもありなん、と合点したものである。
それはともかく、リーザ・デラ・カーサが《四つの最後の歌》を歌うのを生で聴いた、という体験を何よりも大切にしてきた。これこそは小生が生まれる三年前に世を去ったシュトラウスと自分とを辛うじて繋ぐ最後の絆のような気がしたからだ。何度もこの夜のことを思い出したし、何よりも彼女が初演のときの曲順を1970年になっても守り続け、東京でも「眠りにつこうとして」「九月」「春」「夕映えに」の順で歌ったという「事実」をずっと忘れずにいた。(続く)