1968年の駒場祭のポスターばかり喧伝されたが、橋本治には『桃尻娘』(1978年に単行本化)で作家に転ずるまでの雌伏時代、イラストレーターとして活躍した一時期がある。いや、活躍というのは大袈裟で、あまり人目につかない場所でこつこつ地道に仕事を続けていた印象がある。
今でもよく憶えているのは、幻想文学を得意とする牧神社という出版社からウォルター・デ・ラ・メアの翻訳が三つたて続けに出て、それらの外箱の装画と本文挿絵を橋本治が手がけていたことだ。『アリスの教母さま』(→外箱)、『アーモンドの樹』(→外箱)、そして『まぼろしの顔』(→外箱)の三冊である。1976年頃のことだったと思う。
その画風はちょっとオーブリー・ビアズリーを思わせる、というよりむしろ、ビアズリーに始まる英国の世紀末イラストレーションを模倣したスタイルで、小器用なパスティーシュとでも評すべきもの。橋本ならではの個性を披瀝する仕事ではなかったようにも思う。
この三部作は気鋭の比較文学者として注目された脇明子の初期の訳業である。小生はこれらが出てすぐ、新刊の棚で目に留めた。当時の小生が親しくしていた女子大生がたまたま脇の授業を受講し、その博覧強記と頭脳明晰に心酔して、彼女をしきりに褒めそやしたので、どれどれ、と立ち読みしたのである。
ただし、実際に買って読んだのはその数年後。版元の牧神社があえなく倒産し、この三冊のデ・ラ・メアを含む翻訳文学が神保町のゾッキ本屋の平台にどっと並んだときだ。中央線の古本屋でもしばしば見かけたものだ。一冊三、四百円だったから、貧書生にも手が届いたのである。
数年前に蔵書を大整理した際、これら三冊を手放してしまったのが悔やまれる。今では結構な値がついているだろう。
今ふと思ったのだが、デ・ラ・メアの幻想小説のイラストレーターとして橋本治を推輓したのは、脇明子その人だったのではないか。二人は同い歳で、同時期に東京大学で学んでいるから、学科は違っても、当時から顔見知りだったとしても不思議でない。なにしろ橋本はキャンパスの有名人だったし、脇の才女ぶりは際立っていたはずだから。
少なくとも、彼女はデ・ラ・メア三部作での彼の画業を好んでいたらしく、その数年後にハヤカワ文庫から同じデ・ラ・メアの長篇ファンタジー『ムルガーのはるかな旅』(→書影/飯沢匡のラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』の元ネタ本)が脇明子の翻訳で出た際も、表紙カヴァー絵を(すでに『桃尻娘』でブレイク後の)橋本治が担当していた。
追記)
今も辛うじて手元に残るハヤカワ文庫版『ムルガーのはるかな旅』のあとがきに、脇明子はこう記す。
牧神者 [ママ] 版の三冊には、畏友橋本治氏が魅力的な箱絵とたくさんの插絵を描いてくれたが、今度もまた彼に表紙を描いてもらえることになった。イラストや装釘をやるかと思えばミュージカルの台本を書き、編みこみのセーターまで作る多芸ぶりだが、最近は小説家としてのほうが忙しくて、今年のうちに三冊書き上げるのだと言う。そんな中を縫って快くひきうけていただき、非常に感謝している。(1978年12月)
さらなる追記)
結局三部作を古本で買い直した。最後に刊行された『まぼろしの顔』のあとがきで、脇明子が橋本治の起用について、こう明かしている。
さて最後にひとつ、是非お話ししておきたいのは、今回この三冊の本に、私の持っていたイメージにぴったりの挿絵をたくさん描いてくれた橋本治氏のことです。彼はもともと私とは大学で同窓で、在学中すでに一風変った大学祭のポスターを描いてずいぶん有名になった人でした。そのころは直接のつきあいはなかったのですが、その後彼の親友と私の親友が結婚するというようなことになって、その家で偶然出くわしたのが今度の話の始まりといえば始まりだったのです。
それはちょうど私がはじめて小さな本を一冊出したばかりのころで、そんなことが話題に出ていたのだったか、彼と私と神戸から来ていた私の友人と三人いっしょだった帰りのエレベーターの中で、彼は突然「もう本書かはらへん【書かはらへんに傍点】のですか?」と言いだしました。「あれ、 関西ですか?」と友人がびっくりすると「いや、聞いてるとやってみたくなったもんで」・・・だいたいが橋本氏というのはそういう感じの人物で、まあとにかくそのとき「そりゃあそのうち書きたいですねえ」「そのときぼくにやらせてください」「挿絵いりなんてなかなかそんなうまい話ないでしょうねえ」と冗談みたいな約束をしたのが、意外にはやく実現のはこびとなったというわけなのです。(1976年1月28日)
この文中で脇が言及する「私がはじめて小さな本を一冊出した」とあるのは、彼女の処女作『幻想の論理――泉鏡花の世界』(講談社現代新書、1974)だろうから、ここに記される二人の邂逅はその年か、遅くとも75年初め頃の出来事と察せられる。こうして瓢箪から駒が出るような塩梅で、脇が邦訳したデ・ラ・メア小説集の挿絵画家に橋本の起用が決まったのである。