1922年1月29日はディーリアスの六十歳の誕生日。日本風にいえば還暦にあたる。このめでたい日を祝うべく、彼からいろいろ恩義を蒙っていた後輩の作曲家ピーター・ウォーロック(本名フィリップ・ヘセルタイン)はディーリアスに捧げる弦楽合奏用の新曲を密かに準備していた。
《弦楽のためのセレナード》がそれである。副題に「六十回目の誕生日を迎えたフレデリック・ディーリアスに(To Frederick Delius on his 60th birthday)」とある。
ここは三浦淳史さんに黄泉の国から帰還してもらい、少しだけ解説を加えていただこう。
■ ウォーロック/ディーリアスへのセレナード
「フレデリック・ディーリアスの60歳の誕生日」に捧げられている。最初は3楽章形式で書くつもりだったが、ディーリアスが60歳の誕生日を迎える1922年1月29日が期限だったため、1楽章のみに終ってしまった。軽快な牧歌調音楽で、冒頭ニ長調─ロ短調の範囲からはみ出すことがない。意図的にディーリアス風のクロマティシズム(半音階主義)が多用されており、弦楽は分割され重音奏法が盛んに用いられている。和声的に静かな箇所には、ディーリアスを偲ばせるメランコリーが地平線に湧く雲のように漂い、余韻を残している。
どうです、すぐにでも聴きたくなるでしょう、「ディーリアスを偲ばせるメランコリーが地平線に湧く雲のように漂い、余韻を残している」という音楽を。
今日はこれをかけながら、ディーリアスの誕生日をひとり静かに祝うことにしよう。でも、どうせならば、生前にディーリアス自身が耳にしたのと同じ演奏で。
ヴァイオリン奏者アンドレ・マンジョ(André Mangeot)をリーダーとするNGS(National Gramophonic Society)Chamber Orchestra なる団体が1927年1月3日にロンドンで収録した、同曲の史上初の録音である。
このときマンジョが楽団の指揮者として録音スタジオに招いたのが、弱冠二十七歳のジョン・バルビローリだった。彼の指揮者としての最初期の録音のひとつとしても珍重される。
まずはお聴きいただこうか。七分ちょっとの小品である。→これ
百年近く経った現今の耳には、ポルタメントが盛大にかかった、いかにも旧態依然たる演奏スタイルだが、収録にあたってはウォーロックが自らリハーサルに立ち会ったというから、ゆったりしたテンポも、切々たる歌い上げも、作曲者の意に沿うものだったかもしれない。
こういう古い録音が残されている事実を、小生は大学生の頃にマイケル・ケネディのバルビローリ評伝の巻末ディスコグラフィで知った。1970年代前半のことだ。だが当時この稀少録音を聴く手だては全くなく、歯噛みする思いで諦めたものだ。
それから幾星霜、2009年になって英国のDivine Artなる小さな会社から、ウォーロック作品のSP音源を四十三曲も集めた二枚組CD(→これ)が出て、そこにこの最初の《セレナード》の初覆刻も収められたのである。
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録音がなされて三か月後の1927年4月、ナショナル・グラモフォニック・ソサエティから発売されたSP盤(NGS 75)は、時をおかずパリ郊外グレ=シュル=ロワンに住むディーリアスのもとにも送られた。
同年9月25日付でディーリアス夫人イェルカがウォーロックに宛てて書き送った手紙の一節にこうある。
私たちはわが家の蓄音機であなたのセレナードをいつもかけています。魅力的な曲で、フレッドも大いに気に入っています。
すでに視力と四肢の自由を奪われたディーリアスに代わって、手紙はすべてイェルカ夫人が代筆していたのだ。ディーリアスのもとに、若きエリック・フェンビーが助手として赴くのは翌28年のことである。