ジョナス・メカスがコーネルの映画を「発見」したのはもっと以前、1963年にまで遡るらしい。『メカスの映画日記』(飯村昭子訳)の1963年12月5日のエントリーから「ジョーゼフ・コーネル、みせかけのない詩人」の条を引く。
美について語ろう。
気さくでみせかけがなく、芸術映画に反対しているほんものの詩人。それはジョーゼフ・コーネルである。二週間前の月曜日、コーネルの映画を見に行ったほんのわずかな幸わせな人たちだけが、いままで見たこともないような気どりのない美しさを見たのだった。コーネルはホーム・ムーヴィ(そして反芸術映画)のロバート・フラハティであると言ったら、彼に対する賛辞になるであろうか(私はなると思う)。彼はこういうささやかな、目立たない映画を作っている。たいていの人は、これが映画だとも思わない。彼の映画はそれほど芸術っぽくない。そして、ああ、なんとたくさんの愛がコーネルの映画にはあることか! 人びとへの、花々への、夏の日の少女への、日陰の隅にもたれかかった小さな樹々への、公園の木にいる鳥への愛。聖フランシスもジョーゼフ・コーネルの友だちになったにちがいない。