先週末に上京した際、有楽町の三省堂書店の音楽書コーナーで、興味深い評伝を手にした。昨年末に出たばかりの新刊書である。
高橋 綾
カレル・アンチェル 悲運に生きたマエストロ
アルファベータプレス
2018 →書影
チェコが生んだ不世出の指揮者カレル・アンチェル(Karel Ancerl)の日本語で初めての伝記である。
カレル・アンチェルについては多言を要すまい。戦後のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団とともに世界的な名声を勝ち得た巨匠だが、第二次大戦中はナチスのチェコ占領時に逮捕され、ユダヤ人の強制収容所で辛うじて音楽活動を続けたものの、両親と妻を含む家族全員を殺害された。1968年のソ連軍のプラハ侵攻に抗議して亡命、異郷トロントで不本意な晩年を余儀なくされた。まことに20世紀の悲劇を一身に体現したような音楽家だった。
本書はそのアンチェルが辿った激動の生涯を、淡々たる筆致ながら、愛情と敬意をこめて綴ったものだ。
これまで漠然としか分からなかった彼の生涯のあれこれ――知られざる修業時代、恩師ヘルマン・シェルヘンやヴァーツラフ・タリフとの関係、強制収容所での音楽生活の実態、チェコ・フィルの常任に指名された意外な経緯、手兵チェコ・フィルとの緊張を孕んだ関係、1968年のソ連侵攻と亡命にまつわる真相、晩年のトロント時代に味わった平穏な充実感、などなど――が手際よく語られる。これまで知りたくとも知り得なかったことばかりだ。
微に入り細を穿つ大著ではないものの、アンチェルについて必要不可欠な事実はあらかた知ることができる必読の一冊。巻末のほぼ完璧なディスコグラフィともども、座右に置いて何度も繙くことになりそうだ。
アンチェルの生涯のあらましに関しては、彼の生誕百周年の記念日(2008年4月11日)に拙ブログでも一文を草したことがある。まずそこで概略をお知りになって、それから本書をお読みになるのも一策であろう。
→20世紀を生きた悲劇の指揮者