生前も今も指揮者エーリヒ・ラインスドルフ Erich Leinsdorf(1912~1993)にさしたる興味を抱いてこなかった。彼のレパートリーの中心は独墺系にあり、モーツァルトの全交響曲の録音を初めて達成し、手兵ボストン交響楽団とベートーヴェン、ブラームスの交響曲全集を仕上げたほか、ブルックナーの交響曲も早くから取り上げていた。
欧米の歌劇場ではモーツァルトのほか、ワーグナーやシュトラウスを多く手がけた。コルンゴルトのオペラ《死の都》初の全曲盤の指揮者として知る人もおられよう。残念ながら、いずれも小生の守備範囲から外れており、架蔵するラインスドルフ音源はほんのわずかしかない。
ラインスドルフはまたプロコフィエフをも得意としていた。バレエ《ロミオとジュリエット》の独自の抜粋版を作って演奏したり(録音も二種類ある)、交響曲とピアノ協奏曲の全曲録音を企てたりした(前者は未完、後者は完遂)。少なくともプロコフィエフ演奏史上は見過ごせない指揮者なのだ。
あえて共通項を探すならば、これら二曲はいずれもほぼ同時期ベルリンで世界初演されている。プロコフィエフの第五協奏曲は1932年10月31日、作曲者のピアノ、フルトヴェングラー指揮(!)ベルリン・フィルの定期公演で世界初演され(ぶっつけ本番に近い演奏だった由)、片やワイルの《小さな三文音楽》は《三文オペラ》(1928)の大ヒットを受けて、クレンペラーの委嘱により小管弦楽用に編曲され、1929年2月7日、クレンペラー指揮でプロイセン州立歌劇場(すなわち彼が率いたクロール・オペラ)で世界初演された。
だから、よくよく考えるならば、この二作のカップリングには深~いワケがあるのだが、それに気づいた者は少なかっただろう。LPのライナーノーツもその点を指摘するが、いかにも言い訳めいた文章になっており、ジャケットのカヴァー絵もコンセプトを欠き、どうにも苦し紛れだ。
驚いたことに、ラインスドルフはこれら二曲を同日のセッションで収録している(1969年4月25日)。どうせならプロコフィエフの管弦楽曲を何か(例えば《交響的な歌》とかバレエ音楽《ドニエプル河畔で》とか)を組み合わせればいいものを、よりによって《三文音楽》とは、一体全体どういう了見なのか。
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ここからは小生の推論(あるいは邪推)なのであるが、ラインスドルフにとって、ワイルの《小さな三文音楽》は「特別な一曲」であったらしい。《三文オペラ》が一世を風靡していた1920年代末、ラインスドルフはウィーンで修業中だったはずだが、その時期にブレヒト=ワイルの第一期ブームに遭遇し、強い印象を受けたのではなかろうか。舞台や映画も観ただろうし、クレンペラーが発注し指揮した《三文音楽》にも逸早く触れていたのではないか。
つまりこの曲はラインスドルフにとって「わが青春の音楽」だったのだろう。彼はこのボストン交響楽団とのLP録音のほかに、1973年11月にクリーヴランド管弦楽団の定期公演でこれを指揮しており、1985年5月にもシカゴ交響楽団の定期公演でも取り上げている(後者はライヴ録音がシカゴ響の自主制作ボックスに収められた)。《三文音楽》は間違いなくラインスドルフにとって鍾愛の音楽であり、「切り札」的な作品だったようなのである。
おそらくラインスドルフはこの《小さな三文音楽》をレコードにしたくて、その機会を探していたのだと思う。
戦前にソ連を含む全欧を席巻し、極東のニッポンでも絶大な人気を博した《三文オペラ》だが、なぜか米国ではさっぱり流行らなかった。それが戦後1950年代のリヴァイヴァルが成功し、ようやくブレヒト=ワイルが受け容れられた。「メッキー・メッサーのモリタート」は「マック・ザ・ナイフ」と改題され、広く人口に膾炙したのである。今こそ1920年代のヴァイマール文化の精華たる《三文音楽》をきちんと録音すべきだろう。
発注者であるクレンペラーがロンドンで三十数年ぶりにこの曲をステレオ録音したことも、彼の背中を強く押したのではないか。だからプロコフィエフのピアノ協奏曲のセッションにかこつけて、同時代音楽だからと半ば強引にワイル作品を捻じ込んだ・・・そんなふうにも想像される。
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ボストン響の首席奏者たちを擁して録音された《小さな三文音楽》は、さすがに見事な出来映えである。感情移入を避け、きびきびとザッハリヒに音楽を進めるラインスドルフの指揮ぶりも、戦前のワイルにぴたり嵌る。荘重で足取りの重たい、時に弛緩しているクレンペラーとはまるで対照的な行き方だ。これこそが若き日に体得した《三文音楽》なのだ、というラインスドルフの自負が感じ取れるような演奏である。
当時この新録音が米国でどのように評されたのか、小生は詳らかにしないが、おそらく批評家からも音楽ファンからも等閑視されたのではないか。
その証拠に、ラインスドルフ指揮の《三文音楽》は1969年にLPで出たきり二度と再発されず、CD時代になっても長きにわたって忘却の淵に沈んでいたのだから。ちなみに日本盤は発売されずに終わったと記憶する。
この録音が二年前にCD覆刻されたのを小生は最近まで知らなかった。それもそのはず、"John Browning: The Complete RCA Album Collection" なる12CDsボックスの一枚として、くだんのアルバムが丸ごと覆刻され、実に半世紀ぶりにこの《三文音楽》も(ついでとはいえ)復活した。
それを今日これから聴くところである。もちろんプロコフィエフのピアノ協奏曲は後日に回そう。腹を下したくはないからだ。