百周年の当日には東京で串田和美の演出による記念上演もあったというが、捻くれ者の小生は目もくれなかった。串田なる人物に信が置けないし、それよりも架蔵する新旧の音源に耳を傾けたほうが賢明だと思ったからだ。
それにしても、この節目の年に《兵士の物語》の新録音が出ないものか、いくらレコード会社が死に体の昨今とはいえ、この小ぶりな音楽くらいは収録してもいいではないか――などと思っているうちに、2018年は慌ただしくも空しく暮れた。
年が明けて、遅れ馳せながらようやく二種類の新録音が手元に届いた。いずれも昨年に出たばかりの新譜である。収録はもっと以前になされているが、節目の年に合わせて蔵出しして発売に漕ぎつけたものだろう。
"Igor Stravinsky's The Soldier's Tale
with new narration adapted and performed by Roger Waters"
ストラヴィンスキー:《兵士の物語》
英訳/マイケル・フランダーズ+キティ・ブラック
改訂/ロジャー・ウォーターズ
語り手/ロジャー・ウォーターズ
ブリッジハンプトン室内音楽祭(BCMF)の奏者たち
ヴァイオリン/コリン・ジェイコブセン
クラリネット/スティーヴン・ウィリアムソン
ファゴット/ピーター・コルケイ
トランペット/デイヴィッド・クラウス
トロンボーン/デミアン・オースティン
コントラバス/ドナルド・パルマ
打楽器/イアン・デイヴィッド・ローゼンバウム
2014年12月11、12日、ニューヨーク州ブリッジハンプトン、プレズビテリアン・チャーチ
欧 Sony 19075872732 (2018) →アルバム・カヴァー
"Stravinsky: The Soldier's Tale"
ストラヴィンスキー:《兵士の物語》
英訳/マイケル・フランダーズ+キティ・ブラック
語り手/マルコム・シンクレア
ロンドン交響楽団室内アンサンブル
ヴァイオリン/ロマン・シモヴィッチ
クラリネット/アンドルー・マリナー
ファゴット/レイチェル・ゴフ
トランペット/フィリップ・コブ
トロンボーン/ダドリー・ブライト
コントラバス/エディクソン・ルイス
打楽器/ニール・パーシー
指揮/ロマン・シモヴィッチ
2015年10月31日、ロンドン、LSOセント・リュークス、ジャーウッド・ホール(実況)
英 LSO Live LSO5074 (2018) →アルバム・カヴァー
ロジャー・ウォーターズ (Roger Waters)とはもちろんピンク・フロイドの、というか、ロック・オペラ《ザ・ウォール》(1979)の創り手である、あのロジャー・ウォーターズその人である。
ロック界のレジェンドが《兵士の物語》の独り語りを務めるようになった経緯については、寡聞にして知らない。しかもこれは単なるお仕着せの頼まれ仕事ではなく、英語版として人口に膾炙するフランダーズ&ブラック版に大きく加筆し、独自のウォーターズ改訂版を拵えての登場なのだ。録音は2014年にブリッジハンプトンでなされたが、翌2015年には同じ場所で催された音楽祭で実演も披露されたという。
ロックスターが《兵士の物語》に登場するのはこれが初めてではない。あまり話題を呼ばなかったが、LP末期/CD初期に出たケント・ナガノ指揮盤(米Pangaea, 1988)でスティングが兵士役を務めていた。 わが国でも、語り手を戸川純、兵士役を巻上公一、悪魔役をデーモン小暮閣下が演じて話題になった斎藤ネコ指揮盤(東芝EMI, 1992)があった。
だが、それらは登場人物のキャスティングでロック・ミュージシャンを抜擢した冒険的な試みにすぎず、台詞を含むナレーションのすべてをウォーターズが単独で独り語りし、しかも自ら台本の改訂まで買って出た点で、関わりの度合いが全く違う。本盤の企ては前例のないものといえよう。
ウォーターズの朗読はいつもの英訳とよく似ているが、微妙に相違する。
Down a hot and dusty track
Comes a doldier, with a pack.
Ten days, leave he has to spend:
Will his journey never end?
Marching hone, marching on his way,
Slogging homeward every day.
But soon, soon, very soon, he will be home to stay.
従来のフランダーズ&ブラック版だと一行目と二行目が "road" と "load" で韻を踏み、六行目は "Marching, marching all the day" だし、七行目も "Soon he will be home to stay." だから、細部がいろいろ変えられている。
そのあと、ラミュの原作にはないト書き(というか情景描写)が書き足される。こんな具合にである。
The soldier is tired, in need of a rest.
So he throws down his pack at the sideoff the lane.
And proceeds to do what a soldier does best:
He starts to complain.
そし休息がてら兵士はぶつくさ独白するのだが、その言葉も微妙に異なる。台詞もト書きも書き換えられ、兵士の置かれた状況や心情がまざまざと伝わってくる。なかなか秀逸な改訂補筆版なのである。
ウォーターズの語り口が実にいい。ドラマティックな演出を排し、渋い声で淡々と語りかける口跡がかえって胸に染み入る。このように単独の語り手が語る方式でなされた録音でいうと、ストラヴィンスキーが遺した自作自演音源に、ずっと後年ジェレミー・アイアンズがナレーションを加えた盤(Sony, 2007)と双璧の出来映えではないか。
演奏に携わったブリッジハンプトン室内音楽祭(BCMF)の奏者たちはいずれも名手揃いらしく、申し分のない名演といえよう。この曲が飛び切りの難曲だった半世紀前とは隔世の感がある。
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このロジャー・ウォーターズ朗読盤を先に聴いてしまったので、ロンドン交響楽団の奏者たちによる二枚目はちょっと分が悪い。
こちらは定番のフランダーズ&ブラック版による上演ライヴ。これまたナレーターのみの独り舞台である。語りはマルコム・シンクレア(Malcolm Sinclair)なる英国のヴェテラン舞台俳優だそうで、経歴をみると2002年にロンドンのドルーリー・レイン王立劇場での《マイ・フェア・レディ》再演でピカリング大佐役を務めた由(この舞台は実見したが、小生が観たのは翌年の続演時なので配役は違っていた)。
ともあれ、いかにも正統的なクィーンズ・イングリッシュで聴く《兵士の物語》は格調高く、安心して聴ける。語り口だけで兵士と悪魔を演じ分ける技量も大したものだ。
ロンドン響のアンサンブルも、コンサートマスターのロマン・シモヴィッチ以下、名手揃いである。クラリネットのアンドルー・マリナーはネヴィル・マリナー卿の御曹司だ。
これが生演奏収録だというのだから見上げた合奏力だが、そのぶん些か安全運転の気味があり、最後に地獄に呑み込まれてしまう凄味は感じられない。そこがやや不満ではあるが、まあ贅沢な望みではある。
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この二枚が加わって、わが架蔵する《兵士の物語》音源は(番外三点を含め)めでたく四十五点になったと思う。
→「兵士の物語」LPディスコグラフィ
→「兵士の物語」CDディスコグラフィ