昨年はクロード・ドビュッシー歿後百周年ということで、記念演奏会やら記念アルバムやらが目白押しだった。さて今年はというと1869年に歿したエクトール・ベルリオーズ、同じ年に生まれたアルベール・ルーセル、それぞれの記念年にあたっている。節目の年ではあるのだが、百五十年目というのは些かインパクトに欠け、去年ほどの盛り上がりには至らないかもしれない。
■ 1969年6月12日 東京文化会館
日本フィルハーモニー交響楽団 第182回 定期演奏会
バッハ: ブランデンブルク協奏曲 第四番*
ベルリオーズ: 劇的交響曲《ロミオとジュリエット》より 「愛の場面」
ラヴェル: 組曲《マ・メール・ロワ》
ルーセル: 交響曲 第三番
指揮/ルイ・フレモー
ヴァイオリン/ルイ・グレーラー*
フルート/峰岸壮一、蔦井康三郎*
■ 1969年10月14/15日 東京文化会館
NHK交響楽団 第529回 定期演奏会
ベルリオーズ: 交響曲《イタリアのハロルド》*
プーランク: バレエ組曲《牝鹿》
ルーセル: 交響曲 第三番
指揮/ジャン・フルネ
ヴィオラ/白神定典*
当時、日本フィルの定期公演はフジテレビが、N響の定期公演はNHKがFM放送とTVで、漏れなく収録中継していたから、少なからぬ愛好家がこれらの演奏に触れたことだろう。
小生についていえば、前者のフレモーの演奏会は見逃したが、後者のフルネ指揮の三曲はかなりはっきり記憶している。とりわけルーセルの第三交響曲は、このときの演奏で初めて存在を知ったのだから、印象はかなり鮮明である。
一言でいうならば、フルネが指揮したルーセルの交響曲は他のどの指揮者とも異なり、剛毅さをぐっと抑えて、控えめに淡々と、淀みなく進行したと記憶する。二楽章末尾で田中千香士の弾く独奏ヴァイオリンのハスキーな音色が半世紀後の今も耳に残っている気がする。ルーセルを振っても、フルネの紡ぎ出す音楽は、背筋をピンと伸ばしたその指揮姿と同様、ハッタリや衒いとはまるで無縁、しっとり落ち着いて滋味豊かだった…ような気がする。
この演奏にすっかり魅せられた小生は、さっそく上野の東京文化会館の音楽資料室で、ルーセルの第三交響曲のありったけのLPを聴き較べしたものだ。「ありったけ」といっても、日本盤としてはその当時、アンセルメ、クリュイタンス、ミュンシュがそれぞれ指揮したLPくらいしか存在しなかった。
偶然ながら、三枚ともまるで申し合わせたかのように、ルーセルの《第三》と《第四》を表と裏に配していた。どちらも甲乙つけがたい秀作だし、収録時間的にも納まりがよかったのだろう。
資料室でこの三種類をとっかえひっかえ入念に聴いた。最も好みにあったLPをぜひ手に入れようと思ったからだ。
結果は火を見るよりも明らかだった。シャルル・ミュンシュがラムルー管弦楽団を指揮した演奏が断然よかった。ただし解釈はフルネとは全く対照的。炎のように熱く、凄まじい推進力を備えたミュンシュのルーセルは断然ほかの盤を圧していたからだ。爾来これを凌ぐ演奏には出逢っていない気がする。
あれから五十年が経った。今年は果たしてルーセルの名演にどれだけ出逢えるのだろうか。