またしても半世紀も昔の話で恐縮だが、今日からきっかり五十年前の1968年12月27日は、小生が生まれて初めて自分の小遣いで切符を買って、オーケストラ演奏会に出かけた(個人的には)記念すべき日である。
年末ということから想像されようが、演目はベートーヴェンの《第九》だった。捻くれ者の今からは考えられない、至極まっとうで模範的なコンサート・ゴアーぶりだ。褒めてやりたくなる。
12月25日(水)第171回定期演奏会
26日(木)/27日(金)
7時開演 東京文化会館
A ¥2,000 B ¥1,600 C ¥1,200 D ¥800
主催:日本フィルハーモニー交響楽団
マネージメント:ミリオンコンサート協会
「世界の指揮者」という惹句には、誇張も偽りもない。
当時三十三歳の小沢征爾(ちなみに彼が「小澤」を名乗るのはずっと後年のことだ)はすでにニューヨーク・フィルの副指揮者、シカゴ響の夏の「ラヴィニア音楽祭」音楽監督を歴任し、1964年からこの1968年までトロント交響楽団の常任指揮者を務めていた。
アメリカのRCAと契約し、シカゴ響と《展覧会の絵》&《青少年のための管弦楽入門》、《春の祭典》&《花火》、シェーンベルクとバルトークのピアノ協奏曲(独奏/ピーター・ゼルキン)を録音していた。手兵トロント響による武満徹《ノヴェンバー・ステップス》とメシアンの《トゥランガリラ交響曲》を組み合わせた二枚組LPは国際的な評判を呼んでいた。掛け値なしに「世界の指揮者」だったのである。
ここまで世界的に評価された日本人の演奏家はほかにおらず、しかもフジテレビの朝の音楽番組で、日本フィルを振った小沢の格好いい指揮姿を頻繁に目にしていたから、年末になるにつれ、ぜひとも実演に接したくなったのだろう。駆け出しの幼い音楽ファンとしては当然の道筋である。
このチラシの裏面には、三浦淳史が次のような推薦の辞を寄せている。
今年の夏、小沢征爾がシカゴのレヴィニア音楽祭の音楽監督を辞任することが公表された際、地元の有力紙シカゴズ・アメリカンは《セイジ・オザワ、レヴィニア・フェスティヴァルを去る》という大きなミダシを掲げて、過去6年間にわたる小沢の功績をたたえ、〈パーマネント・ゲスト・コンダクター〉という特別なタイトルが小沢に贈られたことを報道していた。辞任の理由も、オペラへチャレンジする小沢の飛躍のためである。来年の夏のザルツブルク音楽祭で小沢はモーツァルトの〈コシ・ファン・トゥッテ〉をふってオペラ指揮者としてデビューする。しかも、カラヤンとベームの招聘によるデビューであり、今夏は両巨匠の薫陶を受けるためザルツブルクに滞在した。[中略] ぼくは、小沢がシカゴ交響楽団を指揮してストラヴィンスキーの〈春の祭典〉を入れたRCAレーベル発売記念の最新録音を聴いて、いかに同楽団が小沢に心服しているかを、その光彩豊かな鮮烈な演奏とともに、まざまざと知らされたのである。来年は小沢にとって、またまた一大飛躍の年になりそうだ。春の大阪国際フェスティヴァルにトロント交響楽団を率いて来日、夏のザルツブルク音楽祭、秋にはサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任する。征(ゆ)くところ必ず音楽的な感動と興奮をゆさぶらずにはおかない小沢征爾を首席指揮者に戴く日本フィルが、1968年をしめくくると同時に、シーズンのクライマックスを盛り上げる公演で、小沢のバトンに最高のレスポンスと気魄を示すことを期待すると同時に、それを疑わないものである。
いつもながら欧米の最新情報を正しく紹介する三浦さんらしい文章であり、当時の小沢征爾の国際的な活躍を生々しく伝えるとともに、小沢が早くも1960年代から「ウィーン・フィルとモーツァルトのオペラをやる」ことに執着していたことを思い起こさせる貴重な記録でもある。
今のわれわれは、ここに予告された小沢のザルツブルクでの第一歩たる1969年の《コシ・ファン・トゥッテ》上演が不評に終わり、順風満帆たる小沢のキャリアに影が射した事実を知ってしまっているのだが。
さて、それではこの五十年前に聴いた「小沢の第九」は果たしてどんな演奏だったのだろうか。
さすがに、今となっては委細を思い出すことはできない。小沢の指揮ぶりがいかにも躍動的で格好がよく、リズム感が抜群で、音楽が大いに弾んだこと、柔軟できめ細やかな「生きた」ベートーヴェンだったこと――五十年後の今日、ここに記せるのはやっとそんなところだ。
手元に残る当日のチケットには「1 C か 12」と座席番号がゴム印で捺されている。会場の東京文化会館もこの日が初めてだったが、席は平土間中央の前から六列目。音響的にはともかく、指揮姿を拝むには申し分ない良席である。半券なので券種はわからないが、おそらくA席だろう。当時の二千円は今ならさしずめ一万円といったところか。高校生の分際で、やけに奮発したのは、よほど「小沢の第九」が聴きたかったのだろう。
当時は素直に《第九》を大傑作と信じて疑わなかった。翌69年にも小沢&日本フィルで再度《第九》を聴き、70年代にはロヴロ・フォン・マタチッチやヨーゼフ・ローゼンシュトック(!)がN響を指揮する年末の《第九》演奏会にも足を運んだのだが、それきり沙汰止みとなった。
理由はただひとつ、第四楽章がどうにも聴くに堪えないからだ。もう金輪際この大仰な、説教がましい、人類愛の押し売りめいた音楽はご免蒙る。今や頑固老人となり果てて、まっとうで模範的なコンサート・ゴアーの初心はどこかに置き忘れてしまったのである。