日百周年だというのに、プロコフィエフに因んだ演奏会や催事には殆ど出くわさなかった。この国の人々の健忘症ぶりには呆れるばかりだ。
それはともかく、この記念年が終わらないうちに、何かプロコフィエフゆかりの珍しいアイテムを拙コレクションに加えたいものだと考えた。たまたま某オークションに稀少な逸品が現れ、熾烈な入札合戦の末、どうにか落札した。昨日それが厳重に梱包され、筒に巻き収められた姿で届いたのである。自分自身へのクリスマスの贈り物だ。
セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の傑作《イワン雷帝 Иван Грозный》(1944)の日本初公開(1948年11月9日封切)に際して制作されたポスターの現物である(→これ)。
サイズはB3判で縦52 × 横36.5センチほど。現今の映画ポスターの半分の大きさしかなく、ひどく薄手の紙に刷られている。全体にすっかり褐色を帯びているのは経年変化もあるだろうが、もともと粗悪な紙質だったものと察せられる。なにしろ敗戦後まだ三年目の印刷物なのだ。四隅に画鋲跡があるほかは破れひとつなく、保存状態はまずまず良好だろう。
上辺の惹句に「全世界を震撼させた問題作 世紀の芸術作品!」とある。そのとおり。全く異論はあるまい。
主役二人(若きイワン雷帝とアナスタシヤ皇妃)の見事なダブル・ポートレートが大きく配され、その下には「ニコライ・チエルカーソフ, L・ツエリコーフスカヤ主演」とスタイリッシュな書体で記される。
嬉しいのはその下だ。同じ書体で「セルゲイ・プロコーフィエフ作曲」とはっきり書かれているではないか! 1948年にはまだプロコフィエフは存命中だったことを思うと、なんだかゾクゾク震えがくる。
映画好きならば、一目これを観ただけでお察しだろう。この《イワン雷帝》のポスターの作者は野口久光に違いない。
どこにもサインはなく、手元にある野口画伯のどの作品集にも掲載されていないが、登場人物を描き出す流麗で的確な筆致と、特徴的なレタリング文字とから、これは彼の仕事だと九十九パーセント断定できる。
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野口久光(1909~1994)はわれわれの世代には映画・ジャズ・ミュージカルの評論家として、また映画音楽・ミュージカルのレコードのライナーノーツの懇切な書き手として、多くの恩恵を蒙ったところの大恩人である。東京美術学校図案科を卒業後、戦前の東和商事に入社し、ドイツ・フランス映画の秀麗で垢抜けたポスターにより一世を風靡した。
戦中は川喜多長政とともに上海で日中合作映画の製作に関わったのち、戦後はしばらく新東宝のプロデューサーとして活動、やがて川喜多の公職追放が解除されると、1951年から再び東和映画の宣伝部に復帰し、《天井桟敷の人々》《禁じられた遊び》《肉体の悪魔》《いとこ同志》など幾多の名作ポスターを世に送った。
《大人は判ってくれない》のポスター(1960)がフランソワ・トリュフォー監督に絶賛され、彼の次作《二十歳の恋》の一場面にも登場した逸話は広く知られている。
この《イワン雷帝》は野口が三十九歳のときの作品であり、当時はちょうど新東宝のプロデューサーとして多忙を極めた時期だったはずだが、いつもながら練達の手腕で登場人物を活写し、ドラマティックな緊迫感を巧みに醸成して、エイゼンシュテイン映画の神髄に迫っているのはさすがというべきだろう。
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占領下の日本でソ連映画の輸入・公開は、連合国総司令部の民間情報局情報部映画班の厳しい監視と統率のもと、駐日ソ連機関の仲介により、本数こそ少ないながら連綿と続けられていた由。
1946年に短篇記録映画《スポーツパレード》が公開されたのを皮切りに、47年には《モスクワの音楽娘》《石の花》《奴隷海岸》の三本(《石の花》は日本で公開された最初のカラー映画だった)、48年には《コーカサスの花嫁》《恋は魔術師》や、伝記映画《グリンカ》(フランツ・リストに扮し、なんとスヴャトスラフ・リヒテルが出演)、バレエ映画《眠れる美女》(ガリーナ・ウラノワほか出演)、そしてこのエイゼンシュテイン監督作品《イワン雷帝》など七本が封切られた。
エイゼンシュテインはこの年の二月に急死しており、《イワン雷帝》はその遺作として日本公開された。もちろん、これは三部作の「第一部」であり、「第二部」はソ連当局から公開を禁じられ、未完に終わった「第三部」のフィルムは破棄された。
「第一部」「第二部」を合わせた全長版《イワン雷帝》がATGの手で日本公開されるのはようやく1964年のことだ。
ポスターの下端に記された「映画配給株式会社」については知るところが尠いが、占領下にあって「日ソ映画社」「北星商事」とともにソ連映画の輸入・公開を許された三社のうちのひとつだという。
ただし、全国公開に際しては東宝の配給網の力を借りたとおぼしく、現今の資料の多くで《イワン雷帝》は「東宝配給」と記されている。そのポスター制作が野口に委ねられたのにも、おそらくそうした事情が絡んでいるのだろう。
今年はプロコフィエフが日本の地を踏んで百周年であるとともに、《イワン雷帝》日本公開からもきっかり七十年目であることに気づき、驚きを抑えきれない。大田黒元雄はこの映画を観て、果たしてどんな感想を抱いたであろうか。