いつの間にか手許に集積した少なからぬドビュッシーのCDをざっと見渡してみて、「ドビュッシー傑作集」的な組物を除くと、彼のポートレートをあしらったアルバム・カヴァーが案外と少ないことに気づいた。
いや、勿論あるにはあるのだが、むしろ同時代絵画やそれらしい雰囲気を醸す風景写真を配したジャケットのほうがはるかに多い。むさ苦しい髭面が敬遠されたのだろうか。
そんな次第で、ドビュッシーの肖像写真を表に掲げ、なおかつ内容的にも推奨に値する四枚をここに並べてみた。
なぜかどれも話題になることが尠く、忘れられた名演というべきものだ。
"Claude Debussy: Images oubliées, Estampes etc./ Fou Ts'ong"
ドビュッシー:
《忘れられた映像》
■ 遅く、憂鬱に、優しく
■ サラバンドの動きで
■ 「もう森へは行かない」の諸相
《版画》
■ パゴダ
■ グラナダの夕暮
■ 雨の庭
《習作帖より》
《映像》第一集
■ 水の反映
■ ラモーを讃えて
■ 運動
《映像》第二集
■ 葉蔭を渡る風
■ 月は廃寺に落ちる
■ 金色の魚
《英雄的子守唄》
ピアノ/傅聰
1990年8月、ロンドン、セント・ジョンズ・スミス・スクエア
Collins 10522 (1990) →アルバム・カヴァー
中国生まれのフー・ツォンについて小生の知るところは少ない。上海で知的な両親のもとに育ち、戦後ワルシャワでショパン演奏の要諦を学び、1955年ショパン・コンクールで三位入賞。その後はもっぱらヨーロッパで活躍、ショパンとモーツァルトの演奏で高い評価を得た。文化大革命の混乱期に両親が糾弾され自殺に追い込まれる悲劇を体験した・・・そのくらいだ。
だからこのドビュッシーもなんの予備知識もなく聴いたのだが、その感興に満ちた、どこにも作為のない恬淡とした演奏にひどく心惹かれた。とりわけ《忘れられた映像》と《版画》の燻し銀のような味わいに魅了される。後者の第三曲「雨の庭」と、その初期形である前者の第三曲とを聴き比べられる愉しみもある。傅聰のドビュッシーには煌めきや華やぎはないものの、他の誰とも違う渋く枯れた風情が漂い、あまたある古今の名盤に伍して、確固たる存在を主張しうる価値ある演奏ではなかろうか。
"Debussy plays Debussy: Piano rolls and 78 rpms"
ドビュッシー:
《習作帖より》
《前奏曲集》第一巻より
■ デルフォイの踊り子
■ 曠野を渡る風
■ 沈める寺
■ パックの踊り
■ ミンストレルズ
《版画》より
■ グラナダの夕暮
《子供の領分》
■グラドゥス・アド・パルナッスム博士
■ ジャンボの子守唄
■ 人形へのセレナード
■ 雪は踊っている
■ 小さな羊飼い
■ ゴリウォッグのケークウォーク
《レントよりも遅く》
《忘れられた小唄》より*
■ わが心に雨は降る
■ 木立の蔭
■ 水彩画その1 グリーン
《ペレアスとメリザンド》第三幕より
メリザンドの歌「私の長い髪が垂れる」*
ピアノ/クロード・ドビュッシー
ソプラノ/メアリー・ガーデン*
1904年5月、ロンドン(G & T社収録)*
1913年11月1日、パリ(M. Welte & Söhne社のピアノ・ロール)
Warner Classics "Claude Debussy: The Complete Works"
Bonus (CD33, 2018) →アルバム・カヴァー
少し前の投稿記事で触れたワーナー・クラシックスの歿後百年記念33CDsボックス「ドビュッシー全集」から三十三枚目。たまたま上記全集が某オークションでバラ売りされていたので、すかさずこの一枚だけを安価で落札。たった今、届いたばかりである。
アルバム・カヴァーには浮世絵版画ではなく、避暑地の浜辺でパラソルを拡げた作曲家のスナップ写真(1911年)があしらわれている。
標題にあるように、これはドビュッシーがピアノで弾いた自作自演録音のすべてを収めた重宝な一枚である。ただし、録音といっても、最後の数曲を除いては自動ピアノ用のロール紙に穿孔した記録なので、現今のピアノで再生しても、どこまでドビュッシーの演奏の実相を伝えてくれるかは甚だ心許ない。ただし、音そのものはデジタル収録なので明晰そのもの。まるで今この部屋でドビュッシーが弾いてくれているような気分になる。これに勝る贅沢はまたとあるまい。
とりわけ《子供の領分》全曲が個性的な自作自演で聴けるのは貴重きわまりなく(パリで実演を聴いた島崎藤村が羨ましい!)、《グラナダの夕暮》や《レントより遅く》で披瀝される情緒たっぷりのルバート、《ミンストレルズ》での自在な弾き崩しには驚かされる。
最後の四曲は初代メリザンドであるメアリー・ガーデンが歌い、ドビュッシーが伴奏するとという「世紀の競演」だが、いかんせん1904年のアクースティック録音は音質が乏しすぎて、実態は霧の彼方の幻である。それでも《ペレアスとメリザンド》の最も蠱惑的な一場が聴けるのだから文句は言うまい。夢のようなひとときだ。
"Debussy: Les Chansons de Bilitis etc"
ドビュッシー:
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ*
フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ**
《シュリンクス》***
チェロとピアノのためのソナタ****
《ビリティスの歌》*****
ナッシュ・アンサンブル
ヴァイオリン/マーシャ・クレイフォード*
フルート/フィリッパ・デイヴィス** *** *****、
レオノア・スミス*****
ヴィオラ/ロジャー・チェイス**
ハープ/マリサ・ロブレス** *****、ブリン・ルイス*****
チェロ/クリストファー・ヴァン・カンペン****
ピアノ* ****、チェレスタ*****/イアン・ブラウン
指揮/ライオネル・フレンド*****
朗読/デルフィーヌ・セイリグ*****
1989年6月、バークシャー州イースト・ウッドヘイ、セント・マーティンズ・チャーチ
Virgin VC 7 91148-2 (1991) →アルバム・カヴァー
ナッシュ・アンサンブルによるドビュッシー室内楽アルバム。晩年の三つのソナタ、フルート独奏の《シランクス》、それに劇付随音楽《ビリティスの歌》(朗読付き)という頗る魅惑的な陣容である。
フランス勢による演奏とはかなり趣が異なるものの、英国勢はよく健闘している。どの曲も粒揃いの演奏であるが、本CDで最大の聴きものは、なんといっても《ビリティスの歌》における名女優デルフィーヌ・セイリグ(Delphine Seyrig)の朗読だろう。小生もまた、その声が聴きたくて新譜で入手した。
セイリグの声は思いのほか低く小声で、耳元に囁きかけるかのよう。収録の翌年にセイリグは五十八歳で急逝してしまい、本盤は期せずして彼女の追悼盤になった。セイリグのフランス語のディクシオンの美しさは言うまでもなく、これはドイツ・グラモフォンから出たカトリーヌ・ドヌーヴ朗読による同曲の録音と双璧をなすものだろう。
”Debussy: La Mer etc / Charles Munch"
ドビュッシー:
《海》
《イベリア》より
■ 街路と田舎道
■ 夜の香り
《夜想曲》より
■ 雲
■ 祭
《牧神の午後への前奏曲》
シャルル・ミュンシュ指揮
フランス放送国立管弦楽団
1968年2月、パリ、メゾン・ド・ラ・ラディオ
Fnac 642303 (1995) →アルバム・カヴァー
剛毅で豪放なシャルル・ミュンシュの芸風はドビュッシーとは本質的に異質なものだ。だが、そうとは知りつつも、この気迫に満ちた《海》の凄まじく熱い演奏には圧倒されずにいられない。本録音がなされた時点ですでにパリ管弦楽団は発足しており、その発足記念演奏会でもミュンシュは《海》を披露していた(1967年11月14日)。《幻想交響曲》やブラームスの《第一》と並んで、《海》は彼の切り札の一曲だったのである。
このCDに収められた一連のドビュッシー録音はフランス放送がコンサート・ホール・ソサエティ社のためにスタジオ収録したもので、当初は《海》と《夜想曲》、《イベリア》とアルベニスの《イベリア》というカップリングで二枚のLPとして発売された(はみ出した《牧神》は別のアンソロジー盤に収録された)。
《海》ほどの凄味はないものの、《イベリア》の「街路と田舎道」、《夜想曲》の「祭」でもミュンシュの美質は発揮され、躍動感たっぷり、光彩陸離たる演奏だ。その反面《夜想曲》の「雲」や《牧神》のような音楽ではミュンシュは全くなす術もなく空転する。なんとも正直な指揮者である。
本CDで惜しむらくは《イベリア》と《夜想曲》が部分的にしか収録されていないこと(いずれも終曲を欠く)。初出LPではちゃんと全曲が収められており、《夜想曲》に関しては合唱入り「シレーヌ」を含むミュンシュのスタジオ録音はこれだけだというのに、勿体ないことをしたものだ。