昨日(10月17日)は早稲田に出向いてエンパク(早稲田大学演劇博物館)で芝居を観た。ブレヒトの《リンドバークたちの飛行》(1929)である。埼玉の蕨を拠点とする「ゲッコーパレード」なる劇団が各地で手がけてきた新ヴァージョンによる出張公演だという。
《リンドバーグ飛行 Der Lindberghflug》を観るのは二度目。前回は1998年11月、「ブレヒト生誕百周年」と銘打たれた日生劇場での記念公演で、ブレヒト=ワイル再演版に基づく、演技を伴うカンタータとしての上演だった。戯曲の翻訳者である岩淵達治が自ら演出まで買って出た公演だったが、ブレヒトの説教めいたテクストが煩わしいばかりで、硬直した教条的な舞台に辟易した。
それでも二十年ぶりに再見したくなったのは、「こんなはずではなかろう」という思いがあったからだ。ブレヒト教育劇には演出者の繊細な配慮が不可欠であり、その多寡に応じて舞台は良くも悪くもなるだろうから。
今回の上演はワイルの音楽抜き、純然たる科白劇として舞台にかかる。ただし、舞台といっても劇場の板の上ではなく、早稲田のエンパクの建物全体が演技...の場になるという。面白そうぢゃないか!
ただし上演は一日のみ。14時~、17時~、19時半~の三回、観客は各二十名限定という狭き門だ。あらかじめメールで申し込み、抽籤で参加者が選ばれる。籤運の悪い小生にしては珍しく、14時の回にめでたく当選したという次第。
《リンドバークたちの飛行》
ゲッコーパレード出張公演 家を渉る劇 vol.3
台本/ベルトルト・ブレヒト
翻訳/岩淵達治
演出/黒田瑞仁、柴田彩芳、本間志穂、渡辺瑞帆、市松、古賀彰吾
出演/河原舞、崎田ゆかり、山本瑛子
標題が「リンドバーグ」でなく「リンドバーク」となっているのは千田是也が誤記し、岩淵達治が踏襲したため。二十年前の上演でも《リンドバークの飛行》だった。「リンドバークたち」と複数形になっているのは、いくつかあるブレヒトの原題のうち "Der Flug der Lindberghs" を採用したためだろう。
小生の朧げな記憶によれば、バーデン=バーデンでの初演時には主役リンドバーグは舞台上でずっと沈黙を通し、代わりに「聴取者」なる男性が机の前に坐り、あたかもラジオ放送を受信し、それに唱和するようにリンドバーグの台詞をしゃべる、という摩訶不思議な手法を用いていたのではなかったか。
つまり、命知らずの冒険者への手放しの礼賛をあらかじめ回避し、主人公への感情移入を阻む「叙事的」教育劇が目指されたのだと思う。
今回の上演では十七ある場面はエンパクのさまざまな場所(一階から三階までの廊下と展示室、さらには館外まで)に設定されており、二十名の観客は役者に促されながら、館内のほうぼうを経めぐり、移動しながら劇の進行を追う。
舞台と客席とが画然と分かたれた劇場での鑑賞とは異なり、観客もまた上演に参画して舞台の一部となり、目撃者/同伴者として出来事の一部始終を見守る役割を演じるのだ。
登場したリンドバーグ(今回は自ら台詞を発する)はまず航路地図を広げ、大西洋横断の決意を物語る(場面③)。この独白場面が閲覧室の机の前に設定されているのは、上に述べた初演時の「机に向かう聴取者」役の名残りなのかもしれない。とはいうものの、それらしくパイロット服に身を包んだリンドバーグを暗がりのなか至近距離で眺める私たちは、ブレヒトの意図とは裏腹に、彼の独白に雄々しいヒロイズムの発露を感じずにはいられない。
そのあと、飛び立ったリンドバーグは自然界の猛威に晒される。まず霧が(場面⑤)、そして吹雪が(場面⑥)、相次いで彼の飛行機に襲いかかり、さらには「眠り」が飛行家を甘美な微睡へと誘いこもうとする。
このあたり、舞台はときにエンパクの廊下、ときに展示室の一隅に設定され、擬人化された「霧」や「吹雪」や「眠り」が思いがけない方角から声を上げ、リンドバーグを脅かす。スリリングな場面の連続に昂奮を禁じえない。ブレヒトが書いた台詞の詩的な煌めきにも心打たれる。
途中で、どの場面だったかうっかり失念してしまったが、二階の「逍遥記念室」備え付けのピアノでバッハが弾かれたり、三階の廊下から上階へ続く廻り階段の高みからリンドバーグが延々と独白したり(場面⑧)、観衆の数名が目撃者の役で台詞を読まされる一場(場面⑭)や、玩具の飛行機を掲げ持ったリンドバーグが館外を歩く(飛行する)姿を窓越しに眺める場面があったりする。
終盤近くには、観客のわれわれもまた館から出て、屋外の張り出し舞台に佇み、さらには博物館正面の路上へと誘われたところで、「到達できぬもの」に挑む人類の理想が高らかに語られて(場面⑰)、《リンドバークたちの飛行》は大団円を迎える。
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後年、ブレヒトはリンドバーグが親ナチの態度を表明したのに憤り、この芝居のタイトルを《大洋横断飛行 Der Ozeanflug》と改め、役名からも台詞からも固有名詞「リンドバーグ」の語をことごとく抹消した。
その顰みに倣うならば、今回のようにリンドバーグ個人の言動に耳目が集中する演出法は、あるいは作者の本意に沿わないものかもしれない。横断飛行を彼一人の手柄とせず、関わった多くの人々の努力の賜物と考え、標題に複数形「リンドバーグたち」を掲げた当初の意図とも背馳しよう。
とはいえ、ブレヒトが1929年に書きつけた言葉を虚心に聴く限り、これは自然の猛威と戦い、困難を克服する人間への率直な讃歌にほかならず、その素朴なまでに直截的なメッセージをそのまま受け止めてもいいような気がした。
なにしろ、これはリンドバーグの歴史的な大西洋横断飛行からわずか二年後に初演されたアクチュアルな芝居である。ブレヒトが私たちに突きつけるのは「異化効果」ばかりとは限らないのだ。