1967年はクラウディオ・モンテヴェルディの生誕四百年の記念年だったから、イタリアから肖像をあしらった記念切手が出た(
→これ)。それを手にした田舎の中学三年生はこの作曲家をまるで知らず、肖像の左右に描かれている人物がオルフェオとエウリディーチェだと判別できなかった。何一つ知識がなかったのである。
初めてモンテヴェルディの楽曲を聴いたのは、この年の暮れか翌年初めだと思う。来日したロヴロ・フォン・マタチッチがN響の定期演奏会で《聖母マリアの晩禱》を指揮するのをTVとFM放送で見聞したのだ。これが日本初演だったそうだ(1967年12月5、6日 東京文化会館)。その印象はさすがにもはや記憶の彼方だが、とにかくモンテヴェルディの音楽が初めて明確な輪郭と実体をもって迫ってきたと思う。
つい最近、そのモンテヴェルディの《ヴェスプロ(晩禱)》のCDを手に入れた。滅多に出くわさない古い盤である。
"Monteverdi: Vespro della Beata Vergine"
モンテヴェルディ:
聖母マリアの晩禱
独唱/デラー・コンソート
■ ソプラノ/メアリー・トマス、サリー・ル・サージュ
■ カウンターテナー/アルフレッド・デラー
■ テノール/マックス・ワーズリー、フィリップ・トッド
■ バリトン/モーリス・ベヴァン
合唱/フランス放送合唱団・児童合唱団
モーリス・ル・ルー指揮
フランス放送国立管弦楽団1967年、パリ
Adès 13.270-2 (1988)
→アルバム・カヴァー録音データから想像がつくように、本録音はモンテヴェルディ生誕四百年を記念して、1967年の早い時期(おそらく一月)にフランス放送によって収録され、その年のうちにコンサート・ホール・ソサエティ(Concert Hall Society)からLP二枚組で出た記念碑的なアルバムをCD覆刻したものだ。仏アデス社は自社音源(Adès, Véga)のほか、旧コンサート・ホール・ソサエティ(仏G.I.D.)音源のCD化にも熱心だった(シューリヒト、クリップス、マルケヴィッチなど)。
一聴すぐさま明らかになるのは、その歌唱・演奏スタイルにおける極度の古めかしさである。とにかく荘重で生真面目で重たい。この半世紀でモンテヴェルディ演奏実践は激変し、当時としては劃期的だっただろう記念盤を過去の遺物として葬り去った感が否めない。かつて視聴したマタチッチの解釈もきっとそうだろう。
われわれにとってモーリス・ル・ルー(ルルー) Maurice Le Roux (Leroux) はなんだか影の薄い存在である。アンゲルブレシュトの後を受けてフランス放送管弦楽団の常任指揮者に就き、1966年にはシャルル・ミュンシュとともに来日公演まで果たした人なのに、遺された音盤がごくわずかしかなく、どんな芸風の指揮者なのかさっぱり見当がつかないのだ。
咄嗟に思い出されるLPはメシアンの《トゥーランガリラ交響曲》とクセナキスの《メタスタシス》の世界初録音、それから《ボレロ》や《パヴァーヌ》を含むラヴェル名曲集くらいだろう。あとはジェラール・フィリップ朗読の《星の王子さま》の名高いLPの伴奏音楽の作曲・指揮が彼だったのを憶えている人もいようか。
ちなみに、ル・ルーは映画音楽の作曲家としても一家をなし、ラモリスの《赤い風船》、ゴダールの《小さな兵隊》、ボロフチクの《インモラル物語》など少なからぬ仕事がある。
いにしえの《ヴェスプロ》を聴きながら少し調べてみると、モーリス・ル・ルーとモンテヴェルディの浅からぬ縁(えにし)を初めて知って愕然とする。
彼は第二次大戦後のモンテヴェルディ復興に先鞭をつけた一人であり、1951年に彼に関するモノグラフを上梓したほか、1955年には彼自身の楽器編成(レアリザシオン)による歌劇《オルフェオ》のパリ初演を実現している。この《ヴェスプロ》もおそらくル・ルー自身によるレアリザシオンかと推察するが、CDのどこにも確たる記載がない。とにもかくにも、この録音は記念年にかこつけた便乗企画ではなく、永年にわたる研究と実践の積み重ねの末になされた総決算的な企てだったことがわかる。
今日的な感覚からしていかに古色蒼然と思われようと、半世紀前のこの真摯な実践があったればこそ、そのあとにアルノンクール、ガーディナー、マルゴワール、ヤーコプス、サバールらの成果が陸続と連なるのだと悟り、深く頭を垂れたくなった。