六十六歳になったからといって、特段の変化は見られない。老境に入ったわが身ゆえ、培った嗜好が大きく揺らぐことはあるまいと思う。これまでと同様、好きな音楽を好きなように味わうまでだ。
そんなわけで、今しがた届いたばかりのディスクをイヤホンで聴いている。家人から苦情が出ないよう細心の注意を払いつつ。
"Paul Hindemith: Nobilissima Visione, Der Schwanendreher, etc."
ヒンデミット:
組曲《高貴なる幻影》*
デア・シュヴァーネンドレーアー**
カール・マリア・フォン・ヴェーバーの主題による交響的変容***
ハインツ・ボンガルツ指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団*
ヴィオラ/アルフレート・リプカ**
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送交響楽団**
オトマール・ズイトナー指揮
ドレスデン州立歌劇場管弦楽団***
1964年、1970年、1969年
Berlin Classics 0030412BC (1998) →アルバム・カヴァー
ヒンデミットの諸作を寄せ集めた再発アンソロジーCD。小生のお目当ての曲はヴィオラと小管弦楽のための《デア・シュヴァーネンドレーアー》だ。ヒンデミットその人にはさしたる興味が湧かないにもかかわらず、昔からこの協奏作品だけはわが鍾愛の一曲であり続けている。
いつの間にか音源は手元に二十種近く集まったが、実演を耳にしたのは、NHK交響楽団が公開録音のため催した無料演奏会(1969年12月、旧NHKホール)で、デビュー間もない今井信子さんが鮮やかな技量を披露したときが唯一の機会である(指揮/岩城宏之)。もう半世紀近く前のことだが、この佳曲の存在を知ったのも、このときの演奏に心を奪われたのが契機だった。
このCDの独奏者アルフレート・リプカ Alfred Lipka(1931~2010)はまるで知らない人だが、1958年から63年までライプツィヒ放送交響楽団の首席ヴィオラ奏者の地位にあり、その後はベルリン国立歌劇場の首席奏者を務める傍ら、同地のハンス・アイスラー高等音楽院で教鞭を執った由。来日経験もあるらしい(独語版Wikipediaによる)。
この《デア・シュヴァ―ネンドレーアー》についていえば、くっきり野太い音で明快に、少しも危なげなく奏でる質実剛健なヴィオリストという印象だ。ライプツィヒの放送オーケストラは彼の古巣だったわけで、呼吸がぴったり合うのは理の当然か。
それにしてもこの《デア・シュヴァ―ネンドレーアー》という長々しい題名ははなはだ厄介だ。これまで一般に《白鳥の肉を焼く男》と呼ばれてきたが、なんとも禍々しい邦題には大きな違和感がある。
原題は「白鳥(Schwan)を回す(drehen)人」というほどの意味。だから英語では "The Swan-Turner" と訳される。終楽章で旋律が用いられたドイツ古謡のタイトルが "Seid ihr nicht der Schwanendreher?"(あなたは白鳥を回す人ではないか?)であり、それが協奏曲名の由来となったものだ。その歌詞のなかで、野宿する見知らぬ旅人に向かって「お前さんは白鳥を回す人ぢゃあないのかい?」と呼びかける。野生の白鳥を捕え、戸外で捌いて調理した古い時代の風習の名残である。これが野鴨や鴫(しぎ)や鶉(うずら)だったなら違和感はよほど少なかっただろうに。
だから小生は《白鳥の肉を焼く男》というホラーめいた響きの邦題に代えて、かねてから《白鳥を炙る人》という新たな題名を提案しているのだが、一向に普及する兆しはない。まあ五十歩百歩なのであるが。
この奇怪な題名が災いしてか、《デア・シュヴァ―ネンドレーアー》の知名度は今でも低い。交響曲《画家マティス》や《世界の調和》はおろか、ヒンデミットが数多く書いた協奏作品のなかでも影が薄い存在なのは残念でならない。親しみやすい旋律が頻出する、鄙びて民衆的な味わいをもつ名作なのに!
→ヒンデミット《白鳥を炙る人》ディスコグラフィ