今日(9月28日)は1918年9月28日にローザンヌ市立劇場でストラヴィンスキーの《兵士の物語 Histoire du Soldat》が世界初演されてから、きっかり百周年にあたる記念日なのである。
こんな重要な日に、明日のレクチャーの準備に忙殺され、新たに文章のひとつも捻り出せないとは、われながら情けなくなる。だからその代償として、かつて拙ブログに投稿した旧エントリーの埃を払って少しだけアップデイトし、とりあえず節目の日にふさわしい記念記事とした。
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1990年のこと、CDショップの店頭の新譜棚で、このディスクを手にしたとき、思わずわが目を疑ってしまった。
誰もが存在しないものと諦めていた初演者エルネスト・アンセルメが指揮した《兵士の物語》全曲のライヴ録音がふいに出現したのである。
1952年4月、ジュネーヴで催された「ジュネス・ミュジカル」第七回国際会議に際して披露されたという、初演時の美術家オーベルジョノワの舞台装置と実際の演技を伴う、生々しい上演の実況記録である(音源=ラディオ・スイス・ロマンド提供)。
"Stravinsky/ Ramuz/ Ansermet: Histoire du Soldat et autres"
ストラヴィンスキー=ラミュ:《兵士の物語》全曲
演出/ウィリアム・ジャック William Jacques
振付/ジャン=ベルナール・ルモワーヌ Jean-Bernard Lemoine
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語り手/ジル(ジャン・ヴィラール) Gilles(Jean Villard)
悪魔/ウィリアム・ジャック William Jacques
兵士/フランソワ・シモン François Simon
悪魔(ダンス)/ジャン=ベルナール・ルモワーヌ Jean-Bernard Lemoine
皇女(ダンス)/ヴィオレット・ヴェルディ Violette Verdy
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スイス・ロマンド管弦楽団メンバー
Membres de l'Orchestre de la Suisse Romande
ヴァイオリン/ミシェル・シュヴァルベ Michel Schwalbé
クラリネット/レオン・オーグストール Léon Hoogstoel
ファゴット/アンリ・エレールツ Henri Helaerts
コルネット/パオロ・ロンジノッティ Paolo Longinotti
トロンボーン/ピエール・オーバパン Pierre Aubapan
コントラバス/ハンス・フリュバ Hans Fryba
打楽器/シャルル・ペシエ Charles Peschier
指揮/エルネスト・アンセルメ Ernest Ansermet
録音/1952年4月17日、ジュネーヴ(Salle de la Réformation)実況
瑞Claves CD 50-8918 (1990) →アルバム・カヴァー
驚いたことに、1918年の初演時に悪魔役を務めたジャン・ヴィラール(通称ジル)が四十数年を経て健在で、ここで語り手を務めているのだ。兵士役のフランソワ・シモンはのちに1970年録音のシャルル・デュトワ盤(仏Erato)で悪魔役を担当することになる。
アンサンブルの奏者たちは当時スイス・ロマンド管弦楽団で首席を務めていた、アンセルメの信頼が篤かった腕利き揃いである。兵士の楽器であるヴァイオリンを弾くミシェル・シュヴァルベは、のちにヘルベルト・フォン・カラヤンから強く懇請されてベルリン・フィルのコンサートマスターに就任することになる。
ちなみに、そのシュヴァルベを筆頭として、演奏に加わったスイス・ロマンド管の七人の奏者たちは、一人残らず1961年のアンセルメによる組曲版の録音にも参加している。
何よりも興味深いのは、ここで用いられた台本テクストが他のどの演奏とも異なるという事実だろう。
当CDのライナーノーツによれば、作者ラミュは初演後も《兵士の物語》の台本に何度も改訂の手を加えたそうで、亡くなる前年の1946年になって最終版を仕上げたという。この1952年の実演ではその最終版が使用されたのだ(第二部で皇女の病を治しに来た兵士が悪魔と再会するくだりが甚だしく違う)。
さらに驚いたのは、この最終版における改訂・加筆箇所の多くが、1962年録音のマルケヴィッチ盤でも採用されているという衝撃の事実である。永年コクトーの手が加わった改変版と思われていたマルケヴィッチ盤のテクストは、ほとんどラミュによる改訂だったことになる!
ボーナス・トラックとして、1940年2月25日にジュネーヴの放送局で演奏されたアンセルメ指揮《兵士の物語》から、台本作者ラミュ自身が語り手を務めている稀少な録音断片(第二部から五分強)が聴けるのも、貴重きわまりない。
加えて、古澤淑子を独唱者とした《三つの日本の抒情詩》(1950年録音)や、1917年バレエ・リュスのローマ公演用に一晩で書かれた《ヴォルガの舟歌》管弦楽版(1952年録音)までも併録される(どちらもアンセルメは正規録音しなかった)。こうなるともう、わが昂奮は頂点に達し、手の舞い足の踏むところを知らずという狂騒状態である。
こうしてこのアルバムは、《兵士の物語》に留まらず、ストラヴィンスキー=アンセルメの演奏史を語るうえで計り知れない価値を有するものとなった。
《兵士の物語》初演百周年の日を寿ぐのに、これ以上ふさわしいディスクはちょっと考えられない。
■ このCDジャケットを飾る装画は、ルネ・オーベルジョノワの油彩画《ピトエフ夫人を讃えて(習作)》(1920年、バーゼル美術館蔵)。描かれているのは、手前にリュドミラ・ピトエフ、背後は左からジョルジュ・ピトエフ、エルネスト・アンセルメ、イーゴリ・ストラヴィンスキー、シャルル=フェルディナン・ラミュ、右下端にルネ・オーベルジョノワ。