心に深く突き刺さる映画は、おいそれと再見したくない。ましてヴィデオやDVDで架蔵しようとは思わない。もしもスクリーンで上映する機会があったなら、一度くらいは見直してもいいのだが。ロベール・ブレッソン監督の《少女ムシェット》(1967)はまさにそんな一本だ。
「ムシェット(Mouchette)」とは仏語の「ムーシュ(mouche)」すなわち蠅の縮小辞だから、「小蠅ちゃん」くらいの意味だろうか。もちろん綽名であり、虫けら呼ばわりする蔑称に違いない。こんな酷い名で呼ばれる田舎の少女の人生は悲惨そのもの。家族からも周囲からも虐めぬかれた挙句、なんの夢も希望もないまま自死してしまう。
そんな女の子の惨めな一生をブレッソンは冷静に、むしろ冷酷といいたいほど、なんの感情移入もなしに描き出す。センチメンタリズムと無縁なだけに、このフィルムは棘のように心に突き刺さり、長い年月ずっと抜けないままだ。恐ろしい監督であり、恐ろしい映画である。
手控帖で調べたら、1980年10月10日、文芸坐の「陽の当たらない名画祭」で観て、そのすぐあと10月20日、アテネ・フランセで再見している。このときの上映は「日本最終特別上映会」と銘打たれており、これで国内でのフィルム上映期限が尽きた。ぎりぎりのところで間に合ったことになる。爾来スクリーンでは観ていない。
そのときのチラシから口上を引く。
この作品は1974年9月、東京の岩波ホールで初公開され、その後全国の自主上映団体等により上映されてきましたが、本年10月22日をもって公開期限が終了致します。寡作な映画作家であると同時に、作品の半数が未輸入であるブレッソンの貴重な作品がひとつ消えてゆくことになります。ここにコロネット商会のご協力を得て、連続8日間の日本最終特別上映会を催す次第であります。
文中にある「コロネット商会」とは本業はアパレル系の輸入商社であり、その一部門が「コロネット・シネマ・アンテレクチュエル」と名乗ってフランス映画の輸入に乗り出したものだ。だが長くは続かず、この《少女ムシェット》と、あともう一本を輸入しただけで頓挫したと記憶する。
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こんな些事をふと思い出したのは、つい先日、その《少女ムシェット》の仏文シナリオを完全収録したと称する洋雑誌をたまたま手に入れたからだ。フランスで出ている映画紹介誌 "L'avant-scène Cinéma" の稀少なバックナンバーの一冊だ(1968年4月、第80号 →これ)。
《少女ムシェット》には台詞は僅かしかなく、したがって台本はほとんどブレッソンによるト書きと状況説明ばかり。だからこそフランス語の原文が読みたくなったのだ。読みながら、この壮絶な映画を脳内再生できるだろうか。