九月の声を聴いて、いささか焦っている。今月末に小さなレクチャーが控えているからだ。テーマは「プロコフィエフの日本滞在」。
なんだ、お前がずっと探索している得意の題材ぢゃあないかと云うなかれ。なにしろ今年は作曲家セルゲイ・プロコフィエフが1918年夏に来日してからきっかり百年目なのである。
このところ、ドビュッシーの追悼曲集だの、アンドレ・エレの評伝だのと他の話題にかまけていて、肝心のプロコフィエフ探索がしばらくお留守になっていた。とにかく十年前に調べた資料に再度あたり、少しでも新たな視点を付け加えようと四苦八苦している。不勉強はいつものこととはいえ、作業が泥縄なのがわれながら情けない。
いつも顔を出している研究会「桑野塾」の例会。9月29日(土)の午後三時から、会場は早稲田大学の戸山キャンパスだ。
桑野塾のホームページ(
→ここ)から案内文を引く。
❖《プロコフィエフ来日100周年
――1918年夏の日本滞在64日間を検証する》
1918年6月1日、27歳の作曲家セルゲイ・プロコフィエフは東京駅に降りたちました。ロシア革命の騒乱を嫌い、新天地アメリカでの成功を夢見た彼は、シベリア鉄道と客船を乗り継いで、通過地点として日本に立ち寄ったのです。
いくつかの偶然が重なり、プロコフィエフは日本に二か月間も滞在し、京都、奈良、軽井沢、箱根などを旅したほか、東京と横浜で国外初のピアノ・リサイタルまで開催しています。驚いたことに、若き作曲家の評判は極東の島国まで届いていました。評論家の大田黒元雄はプロコフィエフと親しく交際して、その言動を詳しく書きとどめ、愛好家の徳川頼貞は彼にピアノ・ソナタを注文しようとしています。
来日100周年を記念して、プロコフィエフの日記や、大田黒と徳川が書き残した記録を読み解き、日本での彼の足取りを辿りながら、「プロコフィエフの生涯で最も謎めいていた二か月間」を検証します。来日時にプロコフィエフも弾いた大田黒元雄旧蔵のピアノによる演奏(CD)もお聞かせします。
とにかく今は老骨に鞭打ち、必死に調べまくっている。どうなりますやら。参加無料。予約不要。皆様のご参集を希う次第である。