昨夕は京橋界隈で知人たちとの食事会があった。青柳いづみこさんのCDブック『ドビュッシーのおもちゃ箱』(→これ)に拙文が載ったのを記念して、数人して祝ってくれるのだという。かたじけない次第だが、喜んでお受けすることにした。
CDに自分の文章が掲載されるのは今回で九回目。これまではライナーノーツ執筆だったが、今回のは立派な書籍仕立てなので文章量も多く、挿絵画家アンドレ・エレについての解説ということから、カラー口絵もふんだんに掲載できた。なにぶん急な依頼だったから、内心どうなることか心配だったが、結果は会心の作とまではいわないまでも、どうにか青柳さんの要望に応えることができ、ホッと安堵している。
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音楽との付き合いははや半世紀に及び、今やわが最大の愉しみとなったものの、楽器も弾けず、楽譜も読めないズブの素人なのだから、所詮は自分ひとりの密かな愉楽にすぎないものだ。専門的な知見をもたない門外漢がレコードやCDに解説文を書くことなど夢のまた夢だと信じ込んでいた。
十二年前の2006年、かねてから面識のある音楽評論家の平林直哉さんから「ポール・パレーが指揮した《田園》交響曲の覆刻CDを出すことになった。そのブックレットに解説を書かないか」と誘われた。小生がかねてからパレーの演奏を好んでおり、中古LPを聴きこんでいるのを知って、「あいつなら何か書けるのではないか」と声をかけてくれたのだ。平林さんは電話口で「ほかに書けそうな人間は誰も思いつかない」と正直に告げた。
そうなると、もう断れない。清水の舞台から飛び降りる覚悟で執筆を引き受けた。幸い小生の手元には仏文の重宝なパレー評伝があり、それを隅から隅まで熟読して、この指揮者がベートーヴェンの音楽とどのような関わりをもったかに焦点を合わせ、一か月かけて必死に調べて書いた。こんな機会は生涯で一回きりだろうから、もてる力を振り絞ったのだ。
拙文が載ったCDは平林さんの個人レーベル「グランド・スラム Grand Slam」から発売され、幸いなことに好評裡に受け止められた。発注主たる平林さんは宣伝文で「解説書の内容解説は沼辺信一氏による渾身の力作で、日本語で読めるパレーの文献としては最も詳しいものです」と太鼓判を押してくれたし、何人かのパレー愛好者からも望外の賛辞を頂戴した。天にも昇る心地がした。わがミッションは完遂したのである。
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最初で最後だと思い定めた「清水の舞台」だったが、どういう成り行きからか、その後も繰り返し飛び降りる羽目に相成った。ざっと年代順に列挙してみると、
《パレー指揮/ベートーヴェン 田園+第七》Grand Slam(2006)
《ポール・パレーの芸術 Vol.4》ユニバーサル/タワーレコード(2009)
《パレー指揮/フランス管弦楽曲集》Grand Slam(2010)
《パレー指揮/サン₌サーンス 交響曲 第三番ほか》Grand Slam(2012)
《ムラヴィンスキー指揮/悲愴ほか》Grand Slam(2015)
《大田黒元雄のピアノ~100年の余韻》コジマ録音/ALM(2016)
《ムラヴィンスキー指揮/バルトーク、オネゲルほか》Grand Slam (2016)
《クロード・ドビュッシーの墓》アールレゾナンス(2018)
《ドビュッシーのおもちゃ箱》学研プラス(2018)
《田園+第七》の解説を気に入ってくれた平林さんはその後もパレー指揮の覆刻盤CDを制作するたびに、小生に「また何か書いてほしい」と依頼してきた。タワーレコードから正規の覆刻シリーズが出たときも、たしか彼が小生を推薦してくれたのだと記憶する。
パレー四枚目のサン₌サーンス「オルガン付き」交響曲のときだったか、平林さんの依頼メールに「さすがにパレーの話題はもうネタ切れかもしれませんが」云々とあったのに小生は却って発奮し、パレーとオルガン奏者デュプレとの長きにわたる親交や、録音に用いられたデトロイトのオルガンが辿った数奇な運命を調べあげて、判明した新事実を事細かに書いた。
小生はLP時代の昔、柴田南雄や三浦淳史や平島正郎ら碩学たちが熱心に調べて書いた曲目解説に心躍らされ、貪るように読んでは蒙を啓かれた世代である。大先輩たちの文章に多大な恩義を感じてもいる。だからこそ、「せっかく書くのなら、充実した有益なライナーノーツを」といつも心がけている。
自分と世代が近い平林さんもこれには同意見らしく、昨今の音楽ライターたちによる杜撰でお手軽な、間違いだらけのCD解説を嘆いていた。だから小生もまた、非力なわが身を顧みずに、「本物のライナーノーツのなんたるかを、範をもって示さねばならぬ」との野望を密かに抱いていた。
平林さんからの依頼で書いたライナーノーツのうち、最もよく書けたと内心自負しているのは、二年前のムラヴィンスキー指揮の覆刻CDだ。ソ連の雪解け期に巨匠がバルトーク、オネゲル、ストラヴィンスキー、ヒンデミットを実演で取り上げた事実から説き起こして、若き日のムラヴィンスキーがどのような音楽を糧に自己形成したかを探る、かなり思い切った内容である。
その当否は読者の判断に委ねるほかないが、自分としては知り得た事実から能うる限り大胆な推論を展開したつもりだ。平林さんはまたしても宣伝文で、「解説は沼辺信一氏(編集者/20世紀芸術史)による力作です。沼辺氏は国内外の文献を読破し、旧ソ連の政治体制の中でムラヴィンスキーがどのようにして20世紀の音楽と関わりを持ったか、その周辺を可能な限り詳述しています。この点について、これだけ掘り下げた文章は、過去に存在しないと思います」と推奨してくれた。これに勝る歓びはない。
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これと同時期に青柳いづみこさんからCDライナーノーツ執筆の依頼を受けた。日本の音楽批評のパイオニア大田黒元雄が愛奏した歴史的ピアノを青柳さんが高橋悠治さんと連弾するという企てである。小生はちょうど大田黒元雄についての論考を書き終え、活字になったものを青柳さんにも進呈したところ、それを高橋さんがまず通読され、「この人にライナーを書かせたらどうか」「ならばそうしましょう」とトントン拍子に話が決まったらしい。
青柳いづみこさんは研究と演奏の両面でドビュッシーを究めたピアノ界の女王陛下のような方。高橋悠治さんは我々の世代にとってはほとんど神に近い存在だ。しかもご両人とも達意の文章家として何冊ものご著書がある。そのお二人からの執筆依頼はこのうえなく光栄だが、同時に空恐ろしくもある。いや~、生まれてこのかた、小生はこのときほど緊張したことはなかった。今度の清水の舞台は途轍もない高さなので、飛び降り損ねたら奈落の底で瀕死の大怪我だ。
この《大田黒元雄のピアノ》のライナーが成功したかどうかは自分ではよくわからない。単なる収録曲解説ではなく、百年前に大田黒が自宅のサロン・コンサートでそれらを取り上げた意図や経緯を詳述したため、文字数が当初の規定量を倍してしまい、版元には迷惑をかけてしまった。
それでも、これを読んだアールレゾナンスのプロデューサー氏が二年後の青柳さんの新作CD《クロード・ドビュッシーの墓》への寄稿(曲目解説)を依頼してきたのだから、それなりの成果はあったというべきだろうか。
今回の《ドビュッシーのおもちゃ箱》は、もっぱら挿絵画家アンドレ・エレ(ドビュッシーのバレエ《おもちゃ箱》での台本作者にして舞台美術を担当)についての考察なので、不案内な音楽畑での筆耕に比べればはるかに気が楽だった。もう三十年も蒐集してきたエレの絵本を少しだけ紹介する機会を得たのも嬉しいことだ。
急に舞い込んだ仕事(四日調べて三日で書いた)だったが、やはりこれは自分がなすべき領分だと強く自覚した。青柳さんからも「予想していた以上の出来ばえ」とお褒めを賜ったので、まずはもって瞑すべし。