だんだん期日が近づいてきて焦っている。早稲田での桑野塾のレクチャーのことだ。尻に火がついた思いで有栖川宮記念公園の都立中央図書館へ出かけ、戦前の東京朝日新聞の縮刷版を数か月分じっくり調べた。目を凝らし、根をつめて作業していたら疲労困憊し、三時間半ほどで退散。そのあと国会図書館へも赴く予定だったが、今日はもう無理と判断。やはり歳には勝てないのだ。
夕刻帰宅すると、もう立っていられないほどの状態だ。そのまま横になって少しだけ音楽を聴く。
"Brahms & Elgar"
ブラームス:
交響曲 第三番*
エルガー:
交響曲 第一番**
エイドリアン・ボールト卿指揮
BBC交響楽団1977年8月6日*、1976年7月28日**、
ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール(プロムズ実況)
ica Classics ICAC 5063 (2012)
→アルバム・カヴァー六十年以上の芸歴を閲するエイドリアン・ボールト卿が指揮した「プロムナード・コンサート」での実況録音である。
彼の現役最後の演奏会は1977年10月12日だそうだから、このエルガーとブラームスは最晩年の演奏実践ということになろう。年齢はそれぞれ八十七と八十八。指揮台に上がって矍鑠と指揮するだけでも驚きだ。しかも曖昧なところの全くない、むしろ若々しい覇気さえ感じさせる凄い演奏だ。
BBCのプロムズHPを繙くと、記録にはこうある。
1976年7月28日(水)19:30~
ロイヤル・アルバート・ホール
Prom 12
ブリテン: 《カナダの謝肉祭》 作品19
バーバ―: ヴァイオリン協奏曲 (独奏/ラルフ・ホームズ)
エルガー: 交響曲 第一番
1977年8月6日(土) 19:30~
ロイヤル・アルバート・ホール
Prom 16
ブラームス: 交響曲 第三番
ジョン・ブラー(John Buller):《プロエンサ(Proença)》(世界初演)
ラヴェル: スペイン狂詩曲
急いで註記しておくと、ボールト翁はこれらの演目すべてを指揮したのではない。彼はそれぞれのプログラムのメイン曲であるエルガーとブラームスの交響曲のみを振り、前者ではエドワード・ダウンズ、後者ではマーク・エルダーが残りの曲を指揮するという異例の処置がとられた。
いくら意気軒昂とはいえ、八十代後半の老匠の体調を慮ったのだろう。したがって、ボールトは担当する一曲のみに全力を傾注できたと考えられよう。
1977年のブラームスはボールトにとって現役最後のプロムズ出演となった。翌78年6月、ロンドンのコラシーアムでエルガーのバレエを振ったのを潮目に、彼は公開の場での演奏から引退してしまうのである。
ブラームスを振るボールトはずっと椅子に坐ったままで、客席からはほとんど動きらしい動きが見えなかった由(英amazonで本盤に寄せられたコメントによる)。だがこの実況録音に聴く限り、弛緩した瞬間は微塵もなく、遅めのテンポのなかにも緩急の変化があり、ボールトの意思が刻印された演奏とわかる。随所で決然たる覇気すら感じられ、老境が醸す黄昏時の音楽の域に留まらない。
前年のエルガーはその上をいく一世一代の秀演である。作曲家をして「彼がいる限り私の音楽は安泰だ」と言わしめたボールト卿ならでは、音楽を完全にわがものとした白熱の演奏である。この交響曲はこうでなければならぬという確信に貫かれ、テンポの緩急も、主題の提示と展開も、ノビルメンテな感興も、クライマックスの醸成も、すべての点で非の打ちどころがない。他の誰にもなしえない高みに到達した演奏であり、数種あるボールト自身によるスタジオ録音すらも凌駕する。会心の名演奏とはまさにこれだ。八十七翁の底力に打ちのめされる。
とりわけ終楽章には言葉を失うほど魅了された。終盤に向かって一歩また一歩と登りつめ、山頂で眩い日の出を望むような到達感が醸成され、とてつもなく崇高な音楽が堂内を満たすのがひしひしと実感される。
最後の和音が鳴りやむや否や、間髪を入れず聴衆から凄まじい喝采が巻き起こるのも宜なるかな。誰もが歴史的な瞬間に居合わせたのを直覚したことだろう。
このエルガーのプロムズ実況録音は、小生の知る限り、これまで二度CD化されている(
→一回目、
→二回目)。
ただし前者は "Proms Centenary" なる限定版写真集に付随するディスクであり、後者は雑誌 "BBC Music" の付録CDだったから、入手は容易でなかった。このように単体で容易に聴けるようになったのは難有い。なにしろこれはボールト卿の生涯の総決算とも呼ぶべき畢生の名演であり、誰もが凌駕できない至高のエルガーだからである。必携にして必聴の一枚。