【承前/7月13日(金)ポンピドゥー常設展と夜の「ボエーム」】
「ヴィテプスク展」を見終えた段階で、歩きづめに歩いた両脚は疲弊し、感受性も摩滅してしまった。とはいえ、このまま退出するのも癪なので、階下に並ぶポンピドゥー・センターの常設展示もざっと眺めることにする。
十七年前に来たときと、どこがどう変化したかは定かでないが、どことなく既視感がつきまとう展示である。なるほどマティスの《豪奢、静寂、逸楽》以下、名だたる歴史的名作が連なる一大コレクションのはずなのに、何故か圧倒的な突出感に乏しく、さして足を留めることなく指差確認しつつ部屋から部屋へと通り過ぎてしまう。こちらの疲労感もあろうが、前に来たときも同様に感じたから、ここにはなにやら根本的な欠陥があるのだとも思う。
すぐにわかるのは、フランス中心主義の破綻である。オルセー美術館ふうの「パリが美術を先導する」という図式は20世紀には通用せず、コレクションはいかにも偏った印象を醸す。一応クレーもエルンストもオットー・ディックスもあるにはあるが、「これだけなのか」感は否めない。
この美術館には定まった順路はないが、中央に並ぶ大きな数室に添って20世紀美術が時系列で展開する。第二次大戦後のアメリカ抽象表現主義の画家たちも登場するが、ポロックもロスコもバーネット・ニューマンも優品とは思えず、「こんなもんぢゃないだろう」感が満載だ。同時期のフランス作品にも見るべき成果は乏しく、1950年代は不毛の十年間に思えてしまう体たらく。
中央を貫く一連の展示室の左右に並ぶ脇部屋には "Histoire(s) d'une collection" と題して、ここのコレクションの成立を歴史順に追う特集展示がなされていた。前身であるリュクサンブール美術館やジュー・ド・ポム美術館の古い展示写真とともに作品を並べるという企て。期せずして、ポンピドゥーのコレクションがフランス中心の「内向き」な出自をもつことを問わず語りに告げている。その意味で示唆的な企画展示といえようか。
常設展示に話を戻すと、大きな展示室と展示室の間には狭く暗い廊下のような場所が挟まれ、そこには群小作家のマージナルな小品が並ぶ。人影もまばらな一郭だが、折角の機会なので念入りに観てみた。
その片隅になんとジョゼフ・コーネルの逸品が人知れずひっそり置かれていた(《梟の箱》1945/46 →これ)。米国の大富豪デ・メニル一族の寄贈になる由。この一点がやけに心に残った。さながら掃き溜めに梟、といった塩梅だ。
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このあと売店で浩瀚な「ヴィテプスク展」カタログと、同展を特集した雑誌を二冊購入。午前中にグラン・パレで観た「クプカ展」の買物と併せて、肩にかけた鞄の荷物はもう耐えがたい重さである。
息も絶え絶えに本館を退出し、離れの「ブランクーシのアトリエ」にもちらと挨拶してポンピドゥー見学は終わりとした。時計は見なかったが、もう二時半は回っていたろう。
それにしても暑い。近傍のアイスクリーム屋で喉を潤すと、シャトレ/レ・アル駅からメトロ④番と⑧番を乗り継いでグラン・ブールヴァール駅に帰還。宿舎に荷物を降ろし、冷たい飲物を補給したあと休憩。少し元気が戻った。
今夜は滞在中で唯一の観劇がある。シーズン・オフなので期待していなかったが、到着した一昨日の夕方に近くのオペラ=コミック座で《ラ・ボエーム》の座席を確保した。折角なので平土間の最上席を奮発。このくらいの贅沢は許されるだろう。今は午後四時過ぎ。開始時刻の八時までたっぷり間があるので、またしても近隣を散策することにした。
モンマルトル大通りの横断歩道を渡ってパサージュ・デ・パノラマへ。気になっていた切手屋のうちの一軒に立ち寄ってみる。店の名は「マリニー切手店(Marigny Philatélie)」という。
店頭に積まれた初日カヴァー(Premier jour d'emission)の山を漁る。初日カヴァーとは記念切手を貼付した封筒に、発行日当日の記念消印を捺印したものをいい、万国共通の蒐集アイテムである。十通で十ユーロという破格の安さである。半時間ほどかけて、デュフィやスーラなどの美術切手、プーランクなどの人物切手の初日カヴァーを選び出す。ドラクロワの切手は昨日訪れたサン=シュルピス教会の《天使と闘うヤコブ》をあしらった図柄。入念な凹版印刷で刷られたフランス切手はそれ自体が小さな美術品なのだ。
そのあと、ヴィヴィエンヌとコルベールの両ギャルリーを少し歩いたあと、昨日は来なかったギャルリー・ヴェロ=ドダ、さらには未見のパサージュ・ショワズールにも足を運んでみた。これで今回は九つのパサージュを踏破したことになる。われながら勤勉なことだ。
ショワズールのパサージュには、19世紀にオッフェンバックが陣取ったブッフ=パリジアン座が今も現役で立地するのに目を瞠った。アーケードを南から北へとくぐり抜け、そこから北方向にしばらく出鱈目に歩いたら、どうやらオペラ=コミック座にほど近い界隈に出た。まるで知らない一郭である。
マリヴォー街(Rue de Marivaux)という由緒ありげな通りの名に惹かれて裏道を歩いていて、"Librairie Théâtrale" なる書店に出くわした。その名もズバリ「演劇書店」。ショーウィンドウにはフランスの演劇書がずらりディスプレイされて、道行く者に「おいでおいで」手招きしている。
面陳されている水色の一冊に目を奪われる(→その表紙)。"Sacha Guitry: Cinéma" と標題が記され、副題に「映画のための全シナリオ」とある。これに引き寄せられるように扉を開けると、店内はいたるところ演劇書で溢れている。棚にはアルファベティカルに古今の劇作家の書目が並び、演劇雑誌のバックナンバーも豊富にある。あとで知ったのだが、この店は1852年の創業になる演劇書の老舗であり、フランス演劇に関わる者で刷らぬ者なき存在なのだという。
フランス演劇にはとんと不案内な小生も、オペラやバレエだったら多少の心得がある。店内には重宝なオペラ誌 "Avant Scène Opéra" もずらり揃っているので、ラヴェルの歌劇を特集した二冊を手に取る。レジに持参し、ショーウィンドウに飾られたサシャ・ギトリ本も取り出してもらい、併せて三冊お買い上げ。店員の対応の礼儀正しさも、老舗の専門店らしく行き届いたもの。すべてが気持ちよい店だ。ぜひまた来よう。
この店からオペラ=コミック座までは文字どおり指呼の距離なので、少し早すぎるが目的地に辿り着いてしまう。歌劇場前のスペースが「ボイエルデュー広場(Place Boïeldieu)」と呼ばれるのも床しい。広場を挟んで劇場に対峙する古い建物には、なんと名高い美術オークションの老舗アデール・ノルドマン(Ader Nordmann)が入っているではないか。閉店後だったのが残念だ。
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広場には人々が三々五々集まって、七時半に劇場の扉が開いた。入口で手渡されたパンフレットに上演時間は一時間半とある。まさか! いくらなんでも《ラ・ボエーム》はそんな短尺ではあり得ない。嫌な予感が募る。
パンフレットを読むと事態が判明した。これから始まるのはプッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》そのものではなく、"Bohème, Notre Jeunesse" -- すなわち《ボエーム、私たちの青春》なる別演目なのだ。"D'après Giacomo Puccini" と添書されたとおり、プッチーニのオペラに基づきながら、それを大幅に刈り込み、はしょって演じられるハイライト=ダイジェスト版という次第。通常より一時間以上も短いのはそのためだ。歌詞はフランス語で歌われるというが、それはまあいい。もともとパリが舞台のオペラなのだから。
八時から始まって九時半に終わる舞台はどうだったか?
いや~、これは観ないほうがよかったな。本筋から逸れる部分はことごとくカットされ、少人数の登場人物のみでストーリーを大まかに辿るだけの寂しい展開だったからだ。歌手たちはみな若く演技が未熟だし、舞台装置は箱状の構造物にプロジェクトマッピングで投影しただけ。最悪なのはピットのオーケストラ。人員削減のため奏者を十三人にまで減らし、不足分をアコーディオン(!)で補うという暴挙に出た。
いくらシーズン・オフとはいえ、こんな観光客相手の手抜き舞台では、歴史ある老舗オペラ=コミックの金看板が泣く。なにしろここは《カルメン》や《ペレアスとメリザンド》を世界初演した劇場なのだから。
それでも、「私の名はミミ(On m'appelle Mimì / Mi chiamano Mimì)」や、ムゼッタのワルツ「私が街を歩けば(Quand je me promène / Quando me'n vo')」が始まるや、パヴロフの犬さながら反応し、ほれぼれ聴き入ってしまう自分がちょっと情けない。不覚にも涙すら滲んだ。こんな不完全な舞台でも、プッチーニの音楽は恐るべき威力を発揮する――今夜の収穫といえば、まさにその一事に尽きる。
とぼとぼブールヴァールを歩いて宿に戻ると十時。さすがに全身が疲れ切って、そのまま寝台に倒れ込んだ。