今日が豪州のピアニストで作曲家パーシー・グレインジャー(1882~1961)の誕生日だと起きぬけに知ったところだ。十数年前に世界的な「グレインジャー・ルネサンス」の動きがあって、毎月のように新譜が出たものだが、昨今はそれも途絶えて彼の名を聴くことも稀になった。寂しい限りだが、それだけグレインジャーの楽曲はクラシカル音楽界にとって異質なところがあり、継子いじめされるのは今に始まったことではない。
わりと最近になって出たグレインジャーのCDがあったはずだと書庫の棚をまさぐったら、あったあった、こんな一枚が姿を現した。なぜかまだ未紹介だったので、まずは収録曲を順に書き連ねよう。
ふう、多くは英国各地の民謡に題材を得たグレインジャーの声楽曲はタイトルを邦訳するのがすこぶる厄介だ。そこでいつも参照するのは宮澤淳一さんの労作「パーシー・グレインジャー作品・編曲作品目録(日本語版)」。彼のホームページで公開されているので、ここでもそれに依拠させていただく。
かつて1990年代末にChandosレーベルで「グレンジャー・エディション」と題して彼の全作品の包括的な録音が企てられたが、それが中途であえなく頓挫したため、グレインジャーの独唱用の声楽曲は収録されずに終わった(たいがいの曲は合唱曲や管弦楽曲など別ヴァージョンで収録されたが)。本アルバムはいわばその欠を補うべき貴重な企てといえようか。
ここでその澄んだ独唱を披露するクレア・ブースは英国を拠点に活躍するソプラノで、クルターク、バートウィスルほかの現代曲を得意とする人らしく、オリヴァー・ナッセンのオペラ《怪獣たちのいるところ》のマックス坊や、《ヒグルティ、ピグルティ、ポップ》のローダなどを当たり役とする由。
そういえば先般もオールドバラ音楽祭でナッセンの指揮によりドビュッシーの劇音楽《ビリティスの歌》の朗読やバートウィスルの新作での歌唱を披露し、BBCのラジオ中継で放送された。
https://www.bbc.co.uk/programmes/b0b6p5yf
ああ、グレインジャーに触れるのは久しぶりだなあと気づく。ときに潑溂と、ときに初々しく、ときにしみじみと心の琴線に触れてくる。日々の雑事に追われて、こういう純金の音楽が世にあることをしばし忘れていた。
彼の作品は20世紀芸術が失ってしまった純朴さと屈託なさを奇蹟的に保っていて、原初的な生命力をそこここに漲らせる。それでいて和声的には複雑玄妙な味わいがあり、決して単純にナイーヴな音楽ではない。
本ディスクで聴かれるクレア・ブースの歌唱は、混じりけのない透明さで際立つ。あまりに純度が高すぎて、民謡ならではの息づかいや人懐こさを求めたくもなるが、これこそが彼女にとってのグレインジャー解釈なのだろう。ここで歌われるのは凡百の民謡編曲ではなく、民謡を研ぎ澄まし、入念に結晶化させた高度な芸術的達成なのだ。
本アルバムの解説書にはクレア・ブースと伴奏者クリストファー・グリンとの連名による前書きがあり、そこで彼らはグレインジャーの民謡編曲の特質について述べたあと、こう付け加えている。
"Last, but far from least, there is the way that Grainger clothes the old tunes in music that is unmistakably his own -- full of colour, emotion, mischief and evocative power. Without him, most of these folk songs and singers would have remained a footnote in history."