東京国際フォーラムで青柳いづみこ女史の講演「ドビュッシーとバレエ」を聴いた。ここで開催中の音楽祭の関連企画として催されたもの。昨日(5月4日)この音楽祭に出演された青柳女史は高橋悠治さんとの連弾でドビュッシーの《神聖な舞曲と世俗の舞曲》(連弾版は珍しい聴きものだ!)とストラヴィンスキーの《春の祭典》を披露し、その余勢を駆っての今日のレクチャーである。
昨日のコンサート後の打ち上げ会で深夜まで飲んだ酔いがまだ抜けきらない、と前置きでまず会場の笑いを取った青柳女史。だがさすがにご専門のドビュッシーとあって、話は淀みなく当意即妙にして内容豊富、後半生のドビュッシーがブルジョワ的な生活水準を維持するため、さまざまのバレエ団やダンサーからの依頼を受け舞踊音楽に手を染めるに至った経緯を、豊富な画像や音源を用いながら、時系列でわかりやすく解説された。
同時にそれは近代バレエの立役者たち――ディアギレフ、ニジンスキー、イダ・ルビンシュテイン、モード・アランら――とドビュッシーとの接触と協働の歴史であり、《火の鳥》《ペトルーシュカ》《春の祭典》でヨーロッパを震撼させた新星ストラヴィンスキーとドビュッシーとの濃やかな交友と秘かなライヴァル関係の物語でもある。
このあたりの経緯はさまざまな関連図書を通じて概略は知っていたものの、随所でハッとするような重大な指摘――バレエ・リュスの依頼で作曲したバレエ《遊戯》(1913)は、ドビュッシーの未完の歌劇《アッシャー家の崩壊》と同じ和音進行で開始されること、生前は上演に至らなかったバレエ《玩具箱》(1913)にはストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》《春の祭典》からの影響が見え隠れすること、など――がさり気なく織り込まれ、ドビュッシーを知り尽くした青柳女史ならではの刺戟的な話をたっぷり満喫した。
きっかり一時間の聴講を終えてフォーラムの前庭へ出ると、ちょうど昼食時とあって、ずらり並んだ屋台村の周囲は凄い人だかり。この賑やかな喧騒はとても初老人の身には耐えられないので早々に退散した。
音楽祭そのものには食指がとんと伸びない小生だが、建物の一隅で催されていた古本市にちょっと立ち寄ったところ、ストラヴィンスキー来日公演(日比谷公会堂、1959)や若き日の小澤征爾&日本フィルによる《火刑台のジャンヌ・ダルク》(日生劇場、1966)、戦後間もなくの諏訪根自子、古澤淑子、安川加壽子のリサイタルの各プログラムなどを次々に発掘。
最大の掘出物は、ドビュッシーのバレエ《玩具箱 La Boîte à joujoux》で台本と美術を担当したアンドレ・エレ(André Hellé)が表紙を描いた《音楽の小箱(オルゴール) La Boîte à musique》というピアノ曲の楽譜(1931 →これ)だろうか。作曲はシャルル=アンリ(Charles-Henry)という未知の人。
フランスのこの手の古い楽譜が東京で見つかるなんて! 楽譜への書き込みから、旧蔵者はどうやら日本人らしい。