今日は執筆と執筆の合間の息抜きの日。しかも梅雨の晴れ間とあって、久しぶりに神田神保町へ出向く。ただし古本屋にもレコード店にも寄ることなく、脇目もふらず「神保町シアター」へと赴く。名にし負う日本映画のメッカだが、小生はなんとなく敬遠していて今日が初めてだ。
勝手がわからないので早めに着くと、すでに映画館の脇に長蛇の列ができている。あわてて並んだのだが、どうも勝手が違う。なんとそれは近所のラーメン店の入店待ちの行列であった。
《あらかじめ失われた恋人たちよ》(1971)
《旅の重さ》(1972)
《赤い鳥逃げた?》(1973)
《竜馬暗殺》(1974)
《㊙色情めす市場》(1974)
《アフリカの光》(1975)
《青春の殺人者》(1976)
《太陽を盗んだ男》(1979)
なんともはや、懐かしさの極みというべき70年代邦画群である。先日メールで「神保町シアターでずいぶんとんがった連続上映をしています」とわざわざ教えてくれた旧友おらが君には感謝の言葉もない。
彼に御礼がてら「これぞ《林美雄がいた1970年代》特集ですね!」と応じると、「まさに、おっしゃるとおり!! 観に行く人はみんなシルバー割ですな」とすぐさま返してきた。
特集の標題「七〇年代の憂鬱――退廃と情熱の映画史」にはやや違和感がある。小生の実感では70年代は決して「退廃と情熱」の時代ぢゃなかったからだ。むしろ「倦怠と鬱屈」「挫折と蹉跌」の十年間ではなかったか?
この映画館は二本立てではなく各回入替制。それでいて入場料1,200円はちょっと値が張る。老人割引だと1,000円だが、それでも高い。
さて小生が観たのは、一本目の藤田敏八監督作品《赤い鳥逃げた?》と、二本目の森崎東監督作品《街の灯》とだ。前者はデジタル素材なので濡れるように鮮やかな色調、後者は古い35ミリフィルムなので、全篇が褪色して赤紫色。それでも愉しめるところが、映画館で銀幕に対峙する醍醐味なのだが。
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《赤い鳥逃げた?》を劇場で観るのはもう十数回目か。この前に観たのは2010年9月、銀座シネパトスでの「原田芳雄 映画祭」のときだった。
ちょうど原田芳雄が来館してトークショーをやった。これが生身の彼に接する最後の機会となった。その日のブログから彼の言葉を少し再録しておこう。
《野良猫ロック 暴走集団'71》で主人公が自分の子みたいに可愛がってた少年がいたでしょ。ラストで主人公は射殺されるのだけど、少年は兎と遊んでいて死の瞬間を目にしていない。それをパキさん(藤田監督)は悔やんでいた。絶対に目撃させるべきだったとね。それで《赤い鳥逃げた?》の最後の夢の島のシーンで、見物人のなかにひとり男の子を紛れ込ませ、主人公たちが爆死する場面をしっかり見届けさせたんだ。
パキさんの演出は何も決めないやり方だったけど、たった一度《赤い鳥逃げた?》のなかで涙を流すよう強く言い張ったことがあった。ほら、田舎の温泉旅館に三人でしけこんでいて、若いふたり(桃井かおりと大門正明)から罵られる場面で、『芳雄、泣いてくれ』ってね。涙は嫌なので抵抗して、結局サングラスをかけたまま涙を流すことで勘弁してもらったけど…。あそこだけはパキさんも譲らなかったな。
《赤い鳥逃げた?》のラストもどうなるかハッキリ決まっていなかった。桃井かおりは死なないはずだったんだ。ところが現場でかおりが強く主張してね、私もここで死ぬ、とね。車から降りたくない、だって外は寒いから、と言い張ったんだ!