ロシアの大指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーが亡くなられたそうだ。享年八十七。
たった今、友人から知らされ、タス通信の第一報で確かめたところだ(→ここ)。
功なり名遂げた大往生には違いないが、それでも脳天をかち割られたような衝撃を受け言葉を失う。じわじわ喪失感がこみ上げる。
誰しも不死身でないに決まっているが、この人の死はなんだか次元が違う気がする。なにしろスターリン時代の悪夢に始まり、束の間の「雪解け」の歓喜を経て、ブレジネフ時代の反動、ペレストロイカとソ連邦の崩壊、プーチンによる悪夢の再来まで、すべてを間近に目撃し、身をもって体験してきた生き証人だ。この世紀の大巨匠に、今はただただ頭を垂れるのみだ。
1972年6月、ロジェストヴェンスキーが当時の手兵モスクワ放送交響楽団を率いて来日し、ショスタコーヴィチの「最新作」交響曲 第十五番を日本初演したとき、なんの予備知識もなしに実演で耳にしたときの驚天動地の衝撃は、今なお鮮明に記憶している。指揮台には上らず、恐ろしく長い指揮棒を自在に駆使して、この未知の交響曲の皮肉と諧謔を鮮やかに彫琢した自信たっぷりの指揮姿がありありと目に浮かぶ。
最後に実演に接したのは昨2017年5月、読売日本交響楽団の定期演奏会。長逝したスクロヴァチェフスキの代役として急遽来日してブルックナーの第五交響曲を指揮したときだった。演奏曲目はこの一曲だけ。
珍しい「シャルク版」での演奏ということだが、ブルックナーに詳しくない小生にそれを云々する資格はない。ただ、あのとき耳にしたのが途轍もなく巨大で、恐ろしく個性的なブルックナーだったことは疑う余地がない。
晩年のロジェストヴェンスキーはもう入念なリハーサルを好まず、気心の知れた楽団を、わずかな通しリハーサルだけで、ほとんどぶっつけ本番同然で振る習わしだったそうで、当夜もきっとそうだったのだろう。それだけに演奏の集中力は凄まじく、終わってもしばらく呪縛されて席を立てなかった。
ひょっとして彼の指揮姿を拝むのもこれが最後か、との不吉な予感がちらと脳裏を掠めたが、すぐさまそれを打ち消した。彼のプロコフィエフを、彼のショスタコーヴィチを、彼のシュニートケを、せめてもう一度、心ゆくまで堪能したいものだと、胸の奥底から望んだからだ。