くだんの執筆原稿は一昨日に校了となり、次なる註文原稿はまだ書き始める段階にない。梅雨の晴れ間のような一日だ。
ちょうどポストに届いた包みを解くと、なかから一枚のEP盤が姿を現す。年少の読者のために註記すると、EP盤とは直径七インチ、33 1/3回転のレコードの総称である。見かけは同じで45回転のシングル盤よりも収録時間が長い(片面が十分ほど)ため、"Extended Playing" すなわちEP盤と呼び習わす。
今や誰も顧みることのない1970年代に出た子供向けの教育レコード。サン=サーンスの《動物の謝肉祭》を表裏一枚に収めている。小生がこの何の変哲もないEP盤に「おや」と目を留めたのは、この楽曲には欠かせない二人のピアニストの名前だ。
高橋アキと木村かをり。普段だったらジョン・ケージやフェルドマンやメシアンの録音でお目にかかる「とんがった」ご両人が、なんとサン=サーンスの通俗名曲で仲良く共演している面白さに惹かれたのだ(→アルバム・カヴァー)。
海外で録音された《動物の謝肉祭》にはワイセンベルグとチッコリーニ、アルヘリッチとネルソン・フレイレ、ラベック姉妹、コンタルスキー兄弟など、名だたるピアニストをわざわざ起用する企画がいろいろあったと記憶するが、このEP盤もまた、それらに負けず劣らずの贅沢な顔ぶれというべきだろう。
共演は山岡重信が指揮する読売日本交響楽団。いまや忘れられた感のある山岡だが、1970年代に読売日響の指揮者として活躍した懐かしい名前である。さらに本ディスクには独自のナレーションが加わる。朗読は樫山文枝。錦上花を添えるとはこのことだろう。
ジャケット裏面に記された録音データは以下のとおり。
録音年月日/1971年11月14日
録音場所/武蔵野音楽大学ベートーベン・ホール
台本/呉正恭
ディレクター/皆川弘至
ミキサー/松田俊雄
音響効果/小堀叡智
本盤は教育用レコードによくある既存の音源の使い回しではなく、この用途のためセッション録音された独自企画であるところが貴重である。
1970年代前半に学習研究社が刊行していた青少年向け月刊音楽誌『ミュージックエコー』の付録として制作された一枚。レコード番号「SG544」から推して、本盤はおそらく1974年5月号の付録だったものだ。中古市場では雑誌とレコードはバラされ、それぞれ別個に二束三文で売られている。
今や誰ひとり思い出さないが、この『ミュージックエコー』の付録レコードはちょっと侮れない内容である。とてもお子様向けの教育用ディスクとは思えない演奏陣の豪華さに思わず目を瞠る。
ポーランドの名匠ヴィトルド・ロヴィツキが読売日響に客演したドヴォジャーク《新世界》を筆頭に、朝比奈隆指揮の《運命》と《第九》(終楽章のみ)、近衛秀麿指揮の《未完成》、岩城宏之が指揮するハイドン《軍隊》、前橋汀子が独奏し朝比奈が伴奏指揮したチャイコフスキーの協奏曲、稲垣悠子が独奏し若杉弘が伴奏指揮したメンデルスゾーンの協奏曲などがずらり並ぶ。すべてオリジナル録音であり、これらEP盤が初出である。しかも大半は再発されることなく忘却の淵に沈んでしまった。残念な成り行きというほかない。
先日この企画に学生アルバイトとして関わったという音楽プロデューサー氏にうかがった話によれば、学研の『ミュージックエコー』の音源は今も良好なコンディションで残されているという。
先人たちが残したこうした貴重な音楽遺産を顧みないところに、この国の音楽界の脆弱さが露呈している。ドイツの大統領ワイツゼッカーが喝破したように「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目になる」のだから。