字幕翻訳家の寺尾次郎さんが今日(6月6日)の朝、癌で亡くなられたそうだ。享年六十二。若い、あまりにも若すぎる。
1980年代末から90年代にかけて、新作フランス映画を好んで追いかけたシネフィルのなかで、映画の最後にテロップで出る「日本語字幕 寺尾次郎」の文字を記憶していないのは、よほど不注意な粗忽者だろう。これはという評判になった作品では、決まって彼が字幕を手がけていた、という印象がある。
とりわけエリック・ロメール監督作品に関しては、《春のソナタ》《夏物語》《冬物語》《パリのランデブー》と立て続けに封切られた作品群は勿論のこと、《モンソーのパン屋の娘》《飛行士の妻》《美しき結婚》《愛の昼下がり》のような旧作まで、字幕担当はほぼ寺尾さんの独擅場だった。同じ頃に紹介されたジャック・ドワイヨン監督作品でも《恋する女》《ラ・ピラート》《女の復讐》《ふたりだけの舞台》がやはり寺尾さんの字幕だった。
このほか、クロード・シャブロルの《主婦マリーがしたこと》、クロード・ミレールの《伴奏者》、ジャン=フィリップ・トゥーサンの《カメラ》、ジェラール・コルビオの《カストラート》・・・と話題作が目白押しだ。
難解をもって知られるジャン=リュック・ゴダール監督作品でも、《万事快調》《勝手に逃げろ/人生》《新ドイツ零年》《ゴダールの決別》と続けざまに字幕を担当しているのは、配給会社が寺尾さんの語学力をいかに高く買っていたかの証だろう。
映画史上の名作まで含めるならば、ジャン・ヴィゴのあの忘れがたい《アタラント号》があり、クリス・マルケルの究極の実験作《ラ・ジュテ》、同じくクリス・マルケルが日本で撮った《不思議なクミコ》、ジャック・ドミの最も美しい一作《ローラ》、ジャン・ウスターシュの呪われた傑作《ママと娼婦》、それに非フランス作品だが、若き日のイェジー・スコリモフスキの監督作品《出発》までも、字幕はすべて寺尾さんが手がけている。
かつて1975年に渋谷のジァン・ジァンで、荻窪ロフトで、日比谷の野音で、そのライヴを繰り返し見聞したロックバンド「シュガーベイブ」(山下達郎と大貫妙子が在籍した)のベーシストはやはり寺尾次郎という名だったが、そのベース奏者と後年の字幕翻訳家とが実は同一人物だと知ったときの小生の驚きといったら!
もっともシュガーベイブは事実上、リード・ヴォーカルの山下達郎のバックバンドにほかならず、寺尾さんは背後で黙々とリズムを刻むだけだったから、ほとんど印象らしい印象は残っていない。一枚だけ出たシュガーベイブのアルバムも、メンバーチェンジで寺尾さんが加入する以前に録音されているので、当時の彼の演奏が満足な形では記録されていないのは残念である。
翌6月7日の追記)
手元の音源で寺尾次郎さんのベースが収められたものといえば、シュガーベイブ解散後に大貫妙子が出したデビュー・アルバム《グレイ・スカイズ Grey Skies》(1976)くらいか。全十曲中の七曲で彼のベースが聴ける。 →音源はここ
この年の10月5日、新宿ロフトでアルバム発売記念ライヴがあった際も寺尾さんが坂本龍一らと出演していた筈だが、このあたりはもう記憶の彼方である。そのとき記念品として貰ったティーカップが今も手元に残る。
同日さらに追記)
昨晩ほぼ同内容の追悼文をfacebook上にも掲げたところ、少なからぬ反響があった。写真も見られるので、そちらもご参照あれ。 →facebook拙記事