いささか古風な訳文ではあるものの、意味するところは充分に伝わるし、調子もなかなか宜しい。実はこれ、ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』の本邦初訳なのである(第一章の末尾)。比較のために、永く慣れ親しんだ丸谷才一訳から同じ箇所を引いてみる(中公文庫、2010年改版)。
ジョージが、
「河へ行こうじゃないか」
という案を出した。彼が言うには、河へゆけば、新鮮な水と運動と静寂が得られる。環境の変化はぼくたちの精神(ハリスの精神をも含む)を楽しませ、勤労は食欲を増進し、快い眠りを与えるだろう、とのことであった。[中略]
ジョージの名案に感心しなかったのは、犬のモンモランシーだけであった。彼は河には関心がなかった。彼が言うのは、
「あなた方にはいいでしょうよ。あなた方は河が好き。しかしわたしは好きじゃない。河では、わたしがするべきことは何もない。景色なんて、わたしの知ったことじゃないし、それにわたしは煙草もすわない。もし私が鼠をみつけたとする。でも、あなた方は船をとめてはくれないだろう。わたしが眠ろうとすれば、あなた方は船をぐらぐらさせて、わたしを河のなかへ落すだろう。意見を求められるなら、申上げますよ。ぜんぜん問題にならない、とね」
しかし、何しろ三対一である。動議は通過した。
せっかくなので、登場したばかりの小山太一訳からも当該個所を書き写しておこう(光文社古典新訳文庫、2018)。
そのとき、ジョージが言った。
「ボートでテムズ河を漕ぎのぼろうじゃないか」
これならば空気はよし、運動もできて静けさも楽しめる。景色がつぎつぎ変わるので、精神が刺激される(ハリスのなけなしの精神も含めて)。ボート漕ぎは体力を使うから食欲も増すだろうし、よく眠れるようになるだろう――ジョージはそう言ったのである。[中略]
この提案に乗り気でなかったのは、犬のモンモランシーだけだった。モンモランシーというやつは、これまで河を気に入ったためしがないのだ。
「そりゃあ、あなたたちには結構でしょうよ。あなたたちは河が好き、でも僕は好きじゃない。だって、何もすることがないもの。景色のよさなんてさっぱり分からないし、煙草だって吸わない。僕が鼠が見つけても、ボートを止めたりしてくれないんでしょう。僕が眠りこんだら、あなたたちはボートの上で馬鹿騒ぎを始めて、僕を河に落っことしてしまうに決まっている。僕に言わせりゃ、愚の骨頂だ」
しかしながら、三対一である。原案はぶじ通過した。
ここで訳文の優劣を問うことはしないが、最初の邦訳だって充分に意を尽くしており、原文をそれなりに正確な日本語に移している。
安価なのでオークションで落札した本邦初訳は戦前の岩波文庫である。表紙に記された標題は『男人三のトーボ』、否、もとい、『ボートの三人男』。現行版と同じタイトルである。ただし作者名の表記は「ジロゥム」。
訳者は浦瀬白雨という人物。奥付に記された初版発行日は昭和16年7月10日。太平洋戦争が勃発するわずか五か月前なのにびっくり。そんなキナ臭い時代に、時局に合わない春風駘蕩たる「敵国文学」がよくぞ世に出たものだ。
驚いたことに、浦瀬白雨が訳した『ボートの三人男』はこの岩波文庫が初出ではない。ジロゥム作『のらくら三人男』の題名で1911年に出版されていた(内外出版協会刊)。1911年といえば明治四十四年。こんな早い時期にジェローム・K・ジェロームの代表作が日本語で読めたとは驚きである。
訳者の浦瀬白雨(1880~1946)は夏目漱石門下の英文学者。同時代の英国前衛詩の紹介者として知られる。この稀代のユーモア小説の存在を、ひょっとして彼は漱石の口から聞かされたのだろうか。
浦瀬は1925年の英国留学時、ジェローム・K・ジェロームを自邸に訪問している。その面会の顛末が岩波文庫版の「あとがき」に記されている。これが読めるという一事からも、本訳書は値千金であろう。
追記(5月25日)/
その後、改めて丸谷才一訳の旧版(筑摩書房「世界ユーモア文学選」1969)を入手して「あとがき」を読んだら、正直にこう明記されていた。「翻訳に当っては浦瀬白雨氏の訳(岩波文庫・絶版)を参照して、教えられるところ多大であった。最上の表現と信じたものは、大胆に借用した。後に来る者の特権と思う故である。記して謝意を表する」。
なるほど、道理で細部の修辞が随所で似通っている。上に引いた箇所でもそれはわかるだろう。邦訳の読み較べの醍醐味ここに極まれり。これぞ先人に対する敬意とオマージュの表明にほかならず、岸松雄の評言を借りるならば「心ある踏襲」と呼ぶべきものだろう。
蓋し、浦瀬白雨の旧訳に親炙していた丸谷才一がとった態度とは、清水俊二のチャンドラー翻訳に対する村上春樹のそれにも相通ずるものだったのだろう。