ジェローム・K・ジェローム
丸谷才一訳
ボートの三人男 犬は勘定に入れません
中公文庫
1976(2010改版) →書影
英国ユーモア小説の古典『ボートの三人男』の新訳が巷で評判なのだとか。ものは試しと購めてみた。
定評ある丸谷才一の旧訳では「犬は勘定に入れません」とあった副題が「もちろん犬も」と改まったのにまず驚く。"To Say Nothing of the Dog" をどう訳すかの問題だが、よくよく考えると原題は「連れて行った犬を員数に含めないなら、三人の船旅」の意味だから、結局どちらの邦題も正解なのだ。
テムズ河を小舟で旅する三人男の珍道中。途中で舟上から目にし、立ち寄った名所旧蹟についての長々しい記述がいかにも古めかしいが、この部分こそ作者が書きたかった主眼だというのだから我慢して読み進める。古風な美文調と斬新な笑いとの不思議なアマルガムこそが本書の魅力なのだろう。新訳はとても読みやすく、詳しい傍註もたいそう役に立つ。
昨秋たまたま必要に迫られてエリック・フェンビーのディーリアス回想記 "Delius As I Knew Him" を精読したのだが、病苦に苛まれる老作曲家との辛い日々の合間に、訪問客とのユーモラスな川遊びの記述が息抜きのように差し挟まれていて、「こういう文章をどこかで読んだ気がするなあ」と思ったものだ。それが本書であることが今ようやく判明した。悠久の美しい自然と滑稽な人間どもの振舞との対比がまるで瓜二つなのだ。ジェローム・K・ジェロームの影響は遍く及ぶ。だからこそ古典なのだろう。
先日、横浜の伊勢佐木町の古本屋で丸谷才一の旧訳も見つけた。それも和田誠の手になる秀逸なカヴァー絵の付いた新版である。遥か昔に読んだ訳文だが、ちっとも古くなっておらず、日本語としてのこなれ具合も申し分ない。
田邊園子
伝説の編集者 坂本一亀とその時代
河出文庫
2018 →書影
先月だったかNHK・TV「ファミリーヒストリー」の坂本龍一の回で、彼の実父で河出書房の名編集者、坂本一亀(かずき)の頑固一徹な生涯が詳しく紹介された。そのくだりで下敷きになったとおぼしいのが彼の唯一の評伝たる本書である。筆者は河出書房で永く彼の部下だった女性編集者。このたび文庫化されたので久しぶりに再読した。
淡々と抑えた筆致ながら、いや、それ故にこそ、真摯で一途な生き方が鋭く胸に迫る。過酷な戦争を生き延びた彼にとって「戦後は余命に過ぎなかった」。だからこそ、同世代の新人作家の発掘にあれだけ邁進したのだろう。本書執筆のそもそもの発端は「父の生涯を書き留めてほしい」という坂本龍一の発案からだというが、彼と同い年の小生にとってもまた、これは「父の世代」を遥かに仰ぎ見るような読書体験だった。
惜しまれるのは巻末の略年譜の手抜き。坂本一亀の生涯を辿らず、ただ社会事象を並べただけの代物など本書の読者には不要であろう。
尾崎真理子
ひみつの王国 評伝 石井桃子
新潮文庫
2018 →書影
四年前に本書が単行本で出てすぐ貪るように精読した――つもりだったのだが、このたび文庫本で再読すると、こんな記述があったのかと驚かされること一再ならず。細部で若干の修正を加えただけというから、当方の読み込みがいかに不足していたか思い知らされた。
とにかくこれは驚くべき精緻な評伝であり、これを凌ぐ石井桃子伝は出ないだろう。生前のご当人に幾度もインタヴューしたのは著者の強みだが、それ以上に埋もれた資料の博捜、周辺取材の周到ぶりも申し分ない。
そのうえでなお望蜀の嘆を申し述べると、石井桃子が戦時下で書いた小品童話での「戦争協力」を恥じて、自責の念と罪の贖いのために東北で開墾生活に従事したという著者の推察には無理がある。初読時と同様なんだか承服できない蟠りを感じざるを得ない。彼女が戦後しばらく東京の児童文学界と袂を分かった背景にはもっと別の事情が絡んでいるのではないだろうか。
晩年の自伝的長篇『幻の朱い実』を「馥郁たる大輪の花のような」本格小説と絶賛し、その存在ゆえに評伝執筆を志したと記す筆者の評価も、小生には承服しがたい。綿密な探索と精確な記述にもかかわらず、本書が描く石井桃子像にはどこかしら遠慮や躊躇があり、「彼女がそう思わせたがっていた」人物像に引きずられて、彼女の心の奥津城たる「ひみつの王国」に足を踏み入れるのを無意識に自主規制してしまった――というのが再読しての正直な感想である。