亡くなったのは昨年の12月17日というから半年近く前なのだが、訃報を伝え聞いたのはつい先日のこと。旧友のツイートで知らされた。その友人も今しがた知ったばかりだという。不覚の極みである。妹尾隆一郎は青春期のわれわれにとって大きな存在だったというのに。
とりあえず旧稿から引く。まず「資料発掘──1977年「スプリング・カーニバル」@日比谷野音」という長文の投稿の一部(2015年5月17日)。
さて当日の三組目「チェイン・ギャング」のステージのさなか、いきなり上田正樹が飛び入りで参加して唄った、とあるのには驚いた。この件を全く失念していたからだ。キー坊のライヴにはこの時期、小生は同じ野音(サマー・ロック・カーニバル、1975年)でも、あちこちの学園祭(高千穂商科大、明治大)でも体験しているから、この日の光景が特段に記憶されはしなかったのだろう。
上田正樹のステージが昂奮の坩堝と化すのはいつものことで、彼が登場するや否や聴衆が「みな狂気の集団と化し」、誰もが我勝ちに舞台下へと殺到し「必死にキー坊に触れようとする」阿鼻叫喚のさまを、筆者の後藤さんはちょっと醒めた目で「いつも客があんなではキー坊も疲れるだろう」と記すところが秀逸である。
そのステージのさなか、俄かに雨が降り出して、チェイン・ギャングの出番がどうにか済んだところでコンサートは中断される。そこからあとの成り行きについて小生の朧げな記憶に間違いはなかった。これに続く山岸潤史スーパーグループとサディスティックス、両バンドの出番は結局なかったのである。
土砂降りの雨のなか帰るに帰れず、客席でずぶ濡れのまま待ち続ける聴衆を少しでも愉しませようと、「黒一色のセノオ氏が客の応対に当たった」くだりは、我が記憶ともピッタリ符合し、なかなかに感動的だ。舞台に再登場した妹尾隆一郎は即席で曲芸を披露し、客席にシュプレヒコールを呼びかけ、ハーモニカを「マイクなしで」吹き鳴らし、挙句の果ては(次に出番が控えていた)「ナルセ」すなわち(バックスバニーの)鳴瀬喜博のベースを伴奏に、飛び入りの女性客と野球拳までやってのけたのだ。信じられぬことに「ついには両人上半身裸とあいなった」。全くもって70年代とはなんとおおらかな時代であったことか!文中でしきりに引用されるのは、大瀧詠一ファンクラブ会報という名目で出ていたガリ版刷りの同人誌『ひまじん』第二巻第三号の無署名記事(会長の後藤女史の文章だろう)。
日本を代表する偉大なブルーズハープ(ハーモニカ)奏者でありながら、無類のエンターテイナーでもあったウィーピング・ハープ・セノオこと妹尾隆一郎の面目躍如たる瞬間が余すところなく活写されている。以下はその箇所の原文。
キー坊がおわるとまた客がややましになり、大粒の雨をものとするような段階はすでにすぎ、こうなりゃヤケよ。ホトケが、ハンチングをかなぐりすててあの細身でひとり雨の中をがんばっていたので、わしもがんばってみた。きっと感電していただろう。スズナベ氏は眼鏡をくもらせて「最高!」とがんばっていた。
ホトケ・・・ではなく(しつこく故意にまちがえる)チェインギャングさんがおわると一旦休止になり、黒一色のセノオ氏が客の応対に当たった。彼は断髪し、一部好評だったが私としてはあの長いカミの方がいやらしさがかくれてよかったと思うのだ。(セノオがきらいでいってるんじゃないのよ。いっとくけど。)
彼は顔に棒を立ててみせ、シュプレヒコールをそそのかし、マイクなしでハープを吹き、しまいにはナルセの伴奏で、とびいりの女性と野球ケンをしはじめる有様。ついには両人上半身裸とあいなった。どうせやるならてっていてきにやるべきよねぇ、あの際。ずぶぬれになりながらの彼の、あのエンターテインメントの精神(野球ケンはまあ別にしてね。あれは好きでやったんだから)にはアタマが下がった。関西系の人はみなわりとこの傾向があって、のりがきついというかアホというか金取ってるんだからできる限りのことはする、という感じで、ステージからみおろしているのでなく一体となっておる。東京の人、特にシティ・サウンドというかティンパン系とかあのへんはひっくりかえってもここまでアホにはなれない。アホになれるというのはいいことだ。
次に引くのは「終わらないで! 感動の一日」という2007年12月16日の日記から。前日に荻窪のライヴハウスで間近に接した実演の感想文。
[旧友たちとの吞み会のあと] 音楽食堂「Rooster」へ移動。ちょうど今夜はここで妹尾隆一郎のライヴを演っている。途中からだったが、ちょうどわれわれの人数分の席が空いていたので舞台近くに陣取る。
「Weeping Harp Senoh」の異名をとる妹尾は知る人ぞ知る、ブルーズ界の大御所だ。1970年代にはライヴハウスで、日比谷の野音で、彼の演奏を何度も見聞したのだが、その後はずっとご無沙汰している。おそらく三十年ぶりの見参ではなかろうか。さすがに年をとり、いいオッサンになっているが、当方も同じなので文句はいえまい。久しぶりに耳にした彼のブルーズハープは天下逸品。タイトでドライヴ感に溢れた演奏を心ゆくまで堪能する。
あまりの懐かしさに休憩時に妹尾御大に声をかけると、実にきさくな人で、親しく応じてくれる。同行の Boe 君は学生時代、彼のライヴを撮影したことがあるそうで、そのことを妹尾氏に告げると、「ああ日大芸術学部やね、憶えてまっせ」と答えていた。せっかくの機会なので、氏を交えて記念撮影。
終演後に表へ出ると、さすがにもはや十一時近い。明日はもうウィーンに向けて旅立つという Boe 君をおもんぱかって、今日はこのあたりでお開きとする。ああ、充実した一日だった。妹尾隆一郎の健在ぶりに接し、「また聴こう」とそのとき強く思ったにもかかわらず、これが今生の別れになってしまった自分の怠慢が今更ながら悔やまれる。
癌に冒されながら妹尾隆一郎は昨年11月にも「復活ライヴ」と銘打って高円寺の「次郎吉」の舞台に立ったのだという。生涯ブルーズハープを手放さなかった天晴れな音楽人に深くこうべを垂れる。