遂に明かされた石井桃子、その生涯の「.. 七年前の2007年3月の...
成城石井で「ロクム」を買ってきた 先日のこと、知友の投稿記...
幻の「スカイ・レストラン」 最後に荒井由実のレコード...
今野雄二の遺著にその才能を惜しむ 昨夜のこと遅い入浴を済ま...
川村がなくなってしまうなんて、耐えら.. 懇切なメールをありがとう...
風を見た人、誰かいる? たまたま執筆の必要から脇...
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コレクション売却は終わりの始まり? ウェブ版『美術手帖』でわ...
マナーをわきまえない「動物農場」新訳 ジョージ・オーウェルの『...
悲しき天使はどこから来たか (1月15、17日よりつ...
もう自分自身が老境に入ったのだから、諸先輩方や影響を蒙った人々に先立たれるのは避けられない現実だ。そう自覚してはいても、やはりひどくこたえる。承服しがたい気持ちが抑えられない。井上堯之の訃報を聞いて。
神代辰巳監督作品《青春の蹉跌》(1974)のテーマ(→これ)。この曲がトランジスタ・ラジオから静かに流れ出した四十四年前の明け方を、今でも忘れることができない。これは小生ひとりきりの思い出ではないはずだ。