大型連休中はどこも人の波、人の渦と相場が決まっているので、努めて外出を避けたいところだが、昨日(3日)是非とも上京せずにいられなかった。春の嵐さながらの悪天候を恨みながら、朝食もそこそこに家を出る。雨はどうにか降りやんだが、強風は収まる気配とてない。
渋谷のスクランブル交叉点で早くもめげそうになる。予想どおり尋常でない人出だ。道玄坂の途中で脇道に入り、いかがわしい界隈を足早に抜け、久しぶりに円山町の KINOHAUS 四階の映画館「シネマヴェーラ」へ。少し列に並んで十時半の開場とともに席に着く。
「映画史上の名作」特集でオーソン・ウェルズの処女作が上映されると鈴木治行さんから知らされた。これはどうしても見逃すわけにいかない。失われたと信じられたその作品《トゥー・マッチ・ジョンソン Too Much Johnson》(1938)が五年前イタリアで発見されたとき、その第一報を受けて小生はブログ記事をしたためて嬉しい驚きを表明していた(→奇蹟の出現「トゥー・マッチ・ジョンソン」 )。
それがわが国でも遂に上映されるのだから昂奮を抑えきれない。実はこの映画、すでに全篇を YouTubeで観ることができるのだが、それをあえて避けて日本初上映に臨む。なんとしてもスクリーンで観たかったのだ。
十一時きっかりにまず始まったのは、併映作品であるジョージ・キューカー監督の《女性たち The Women》(1939)。史上に名高いコメディの傑作ながら不案内な小生はこれも初めてだ。
とある富裕な有閑マダムが夫の浮気に憤って離婚するが、紆余曲折あって元の鞘に収まるまでを面白おかしく描いた作品ながら、肝心の夫は画面に現れず、登場人物は端役に至るまで全員女性という実験的な趣向が凄い。女優陣はノーマ・シアラー、ジョーン・クロフォード、ロザリンド・ラッセル、ジョーン・フォンテーン、ポーレット・ゴダードなどなど。綺羅星の如し。
絶頂期のキューカー手練れの演出術に言葉もない。二時間をたっぷり堪能。
そして二本目はお目当ての《トゥー・マッチ・ジョンソン》(上映題名は《ジョンソンにはうんざり》)は、バスター・キートン風の無声コメディである。もともとオーソン・ウェルズ主宰のマーキュリー劇団で同名の芝居(ウィリアム・ジレット作)に挿入される映像として撮られたもの。登場するのは劇団の花形役者ジョゼフ・コットン(追われる主人公オーガスタス)、後にウェルズの映画《マクベス》(1948)に出演するエドガー・バリアー(オーガスタスを追う寝取られ男リオン)、そのほか劇団員総出演。
他愛ない追跡物スラップスティックといえばそれまでだが、各ショットは即興的ながら丁寧に撮影されている。ただし未編集のラッシュ・フィルムだから、同シーンの別テイクが何度も繰り返される。本来四十分ほどになる予定が、現状では一時間八分もある。
もとより映画史を劃すような作品ではなく、元の芝居から切り離して単独で鑑賞すべきフィルムではなかろうが、それでも《市民ケーン》の三年前に二十三歳のウェルズが「動く映像」の魅力に開眼し、嬉々としてフィルムを回しただろうと想像すると実に愉快なのである。
追われる男に扮したジョゼフ・コットンは、キートンばりの無表情を少しも変えぬまま古い倉庫街を縦横に逃走し、非常階段を昇り降りし、屋根上をほうぼう逃げ歩くなど、スタントなしで相当に危険な演技に体当たりで(だが恐らくは嬉々として)挑んでいる。
残念だったのは、今回の上映プリントでは無声映画にありがちで月並みなピアノ伴奏がずっと流れるのみで、本来このフィルムのために作曲されたポール・ボウルズのオリジナル音楽(《ある笑劇のための音楽》)が使用されていない。それだけが心残りである。
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終映は十四時半。映画館を辞去してさっき来た道を足早に引き返す。
ひっそり静まり返ったラヴホテル街を過ぎ、寂れた十軒店を抜けると、表通りの道玄坂から渋谷駅までは猛烈な人また人。喧騒を必死に耐えて這う這うの体で駅改札まで辿り着き、ここでも混雑に揉まれながら階段を上り、やっとの思いで山手線に滑り込む。老体には過酷な移動である。
十五時きっかりに有楽町駅着。そこから東京国際フォーラムまでは指呼の距離にある。ここもまた人また人、雑踏と喧騒にうんざりする。エスカレーターで地階に降り、レコード会社のプロデューサーで顔馴染の宮山幸久氏に軽くご挨拶。彼はここで来日アーティストのサイン会のアテンド役を忙しく務めている。無駄話で邪魔してはいけない。
慌ただしく地上に戻ると、今度はエレヴェーターで六階へ。
毎年この時期ここで催される音楽祭には共感するところが甚だ尠い。
今年のテーマは "exil" すなわち「出国/亡命」とのことだ。諸国を旅するヘンデル、ハイドンに始まり、ショパンの「亡命」、20世紀にはシェーンベルク、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ヒンデミット、バルトークら、越境者の例には事欠かない。重要な主題ではあるが、賑やかなお祭り騒ぎとの違和感が否めない。選曲のツメも甘く、的外れか妥協の産物にみえる。
なので全く食指が延びずにいたら、この演奏会に強く推奨された。
15:30~16:15 ホールD7
■ M157
レーラ・アウエルバッハ(アヴェルバーフ): さくらの夢 (2016)
平 義久: 鐘楼 (1994)
倉知緑郎:おお、海よ (1948)*
ショパン(リスト編): 私のいとしい人 ~六つのポーランド民謡(1847)
カステルヌオーヴォ=テデスコ: ショパンの前奏曲による三つのマドリガーレ (1933頃)*
ショパン: 願い (1829頃)*
吉田 進: 色は匂へど (1976)*
アーン: クロリスに (1916)*
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カウンターテナー/村松稔之*
ピアノ/青柳いづみこ
こうして曲目を羅列してもこの演奏会の面白さは伝わるまい。音楽祭のテーマを踏まえて、作曲家の「越境/離郷」の諸相をさまざまに示した、博識な青柳さんならではの凝りに凝ったプログラム編成なのだ。
旧ソ連崩壊後いち早く渡米した才女アヴェルバーフが日本古謡《さくら》を独自に改変した《さくらの夢》(被献呈者はさっき地下でお目にかかった宮山さんだ!)に始まり、パリ留学でデュティユー、ジョリヴェ、メシアンに師事して終生この街に留まった平義久、深井史郎に師事し、ソプラノ古澤淑子の夫としてパリ、ジュネーヴで暮らした倉知緑郎、やはりパリでメシアンに師事し、異国で日本語によるオペラを作曲する吉田進――留学を機に越境した日本の作曲家のさまざまな "exil" 人生に思いを馳せる。
ショパンからはポーランド主題の作品、それも歌曲のリストによるピアノ編曲(リストもまた越境の人だ)、ポーランド語の歌曲(ヴィトヴィツキ詩)、さらにはショパンの前奏曲を伴奏部としてペトラルカ詩に附曲したカステルヌオーヴォ=テデスコ(彼もイタリアから渡米した)の歌曲集という、秘曲尽くしのセレクション。そして締めくくりにはベネズエラ生まれのパリジアン、レナルド・アーンの絶品《クロリスに》が聴き手を慰撫するように歌われる。
多彩だが筋の通った絶妙な選曲。至福というほかない四十五分間。
カウンタテナー村松さんの性別を越えた不思議な魅力がそれぞれの曲の個性を際立たせる。フランス歌曲と見紛うばかりの倉知作品、絵巻か書状のような巻物仕立ての楽譜を繙きつつ歌われた吉田作品(メシアン教室への「入学作品」だとか)、そして "C'est l'extase langoureuse" と言いたい恍惚境へと誘うアーン歌曲。どれも見事なものだ。
各曲の前に青柳さんが短く周到なトークを差し挟んだのが奏功し、聴衆は否応なしに作曲家の「越境/離郷」を思いながら聴き惚れた。これは今回の音楽祭の白眉をなす演奏会だったのではないか。
ところで入場時に渡された配布資料の酷さ。これは目に余る。
カステルヌオーヴォ=テデスコ作品の作曲年が「ca1829」、ショパン歌曲が「ca1933」、アーンの《クロリスに》が「1976」、吉田の《色は匂へど》が「1916」って・・・ 全部が間違いだ!
裏面の作曲家紹介では、カステルヌオーヴォ・テデスコを「イタリアの作曲家。18世紀後半のオペラ、特に喜歌劇の作曲家として知られている。代表作《秘密の結婚》は(以下略)」ってアナタ、これチマローザでしょうに!
まあ、それはそれとして、わが「音楽生活五十周年」の当日、心に残るような演奏会に足を運べたのは望外の幸せだった。