Istvan Kertesz
with Japan Philharmonic Symphony Orchestra
●May 1st 7:00 p.m.
厚生年金会館 Kosei Nenkin-Kaikan Hall
floor 1 row G no.22
5│3A
末尾に大きく記された「5│3」は開催日、「A」はA席の意味。
ちなみに三行目の日付に誤植があり(!)、「1st 」のところがボールペンで「3」に直されている。
せっかく高価なチケットを頂戴したものの、これだけでは肝心の演奏曲目がさっぱりわからない。
そこで上野クンに翌日「どんな曲を演るのか知りたい」と尋ねると、次の日だったかに鉛筆で書きなぐったこんなメモを手渡された。
ロベールカサベ集
イストハンケルテス指揮
日本フィル
コダーイ
ハーリ・ヤーノシュ
サンサーンス
ピアノ協奏曲4番
ドボルザーク
交響曲9番
「ロベールカサベ集」というのが咄嗟にわからない。だが少し考えた末、これは協奏曲を弾く独奏者の名だと気づいた。だったらフランスの老巨匠、ロベール・カサドシュに違いあるまい。サン=サーンスのピアノ協奏曲第四番は彼が十八番にしている一曲だったのである。
幸いにも、その少し前にN響の定期に登場したピアニストの田中希代子がこれを演奏し、TVやFMで繰り返し聴いたので、小生にとってもすでに馴染の曲となっていた。
「イストハンケルテス」とはハンガリー出身の指揮者イシュトヴァーン・ケルテース István Kertész(当時の表記は「イストバン・ケルテス」)のことだ。
その評判は夙に耳にしており、ロンドン交響楽団と多くのレコーディングを手がけ、期待の指揮者として将来を嘱望されていること位は、この時点で小生も承知していたと思う。
演目は大いに期待できそうだ。コダーイの組曲《ハーリ・ヤーノシュ》も、ドヴォジャークの《新世界》も、すでにトランジスタ・ラジオで何度も耳にしていたし、そもそも両曲とも、ほかならぬケルテース指揮、ロンドン交響楽団のLPがスタンダードな名演として定評を得ていたのである。そのあたりの事情は、新参者である田舎の高校生も「耳学問」でうすうす勘づいていた。
❖
そして1968年5月3日。
何しろ半世紀が経過してしまったので、思い出せることにも限りがある。当日は晴れていたのか、雨だったのか、新宿駅から厚生年金会館まで迷わず歩いて行けたのか。何ひとつ記憶していない。
会場に着くとロビーに曲目変更の貼紙がしてあった。愉しみにしていた鍾愛のサン=サーンスの第四協奏曲はベートーヴェンの《皇帝》に差し換えになった由。ひどく残念に思ったのを憶えている。
なにしろ生まれて初めてのコンサートなので、さぞかし緊張していたに違いない。会場でのしきたりやマナーもまるで不案内だったのだろう、その証拠に、ロビーで入手できたはずのプログラム冊子を買い忘れてしまった。
ともかく、こちこちになって開場と同時に早々と自席に着いて、所在なく開演を待ったのだと思う。
奇蹟的に今も手元に残る半券の印字を再確認すると、「floor 1 row G no.22」すなわち一階平土間の前から七列目、ほぼ中央というベストシートだったことがわかる。なんという僥倖であろうか。ビギナーズ・ラックとはこのことだ。
ほどなく定刻の七時になった。
「巨大な便所のような」(吉田秀和の評言)厚生年金会館大ホールの殺風景な舞台上に楽員たちが三々五々参集し、思い思いにチューニングを開始する。TV中継ではすでに見慣れた風景だが、いざそれを目の当たりにすると、期待感で早くも心臓が早鐘のように鳴った(に違いないと想像する)。
場内が水を打ったように静まりかえった。ほどなく若々しい足取りでイシュトヴァーン・ケルテースが颯爽と現れた――と、そう書きたいところだが、このあたりの記憶は全く失われている。
盛大な拍手が終熄すると、ケルテースが指揮棒を構えた。客席の小生は緊張と期待とで胸がはち切れそうだ。
そしてその一瞬のちに起こったことは、五十年が経過した今もなお明瞭に記憶している。忘れられるはずもないのだ。
(次エントリーに続く)