早稲田大学の教室で開かれる勉強会に顔を出そうと早稲田通りを歩いていて、旧知の古本屋「オペラ・バフ Opera Buff」にちょっと立ち寄った。ここの店主は無類のオペラ狂にして博覧強記の人物。ウィーンやニューヨークにも頻繁に出かけている。オペラに不案内な小生なぞはとても太刀打ちできない御仁なのだが、他所では絶対に見かけないオペラ書や声楽のCDが発掘できる。云ってみればとんでもなく魅力的な「悪所」なのである。
その主人から「旦那、こんな本はどうですか?」と棚から抜き出して手渡されたのが、この未知の書物だった。
Julius Rudel (and Rebecca Paller):
First and Lasting Impressions: Julius Rudel Looks Back on a Life in Music
University of Rochester Press
2013 →書影
ユリウス・ルーデル(1921年ウィーン生まれだが、アメリカ国籍なのでむしろ「ジュリアス」だろうか)は永らくニューヨーク・シティ・オペラで活躍したオペラ界の名匠である。
この歌劇場は老舗メトロポリタン歌劇場に対抗すべく、「市民のためのオペラハウス」を標榜し、若い歌手の発掘と斬新なレパートリーで鳴らした「第二の歌劇場」。さしずめウィーンのフォルクスオーパー、ベルリンのコーミッシェオーパー、パリのオペラ=コミック座、ロンドンだったらイングリッシュ・ナショナル・オペラに相当する劇場だろうか。
早くに父を喪い、1938年に母や弟と連れだって命からがらアメリカに辿りついたユリウス少年は、ニューヨークのマネス音楽学校で苦学しながら指揮者への道を歩み、1944年ニューヨーク・シティ・オペラの指揮台に立った。爾来三十五年にわたってここのピットで団員と苦楽を共にし、同歌劇場を世界的に知らしめた。この劇場を拠点として名ソプラノのベヴァリー・シルズや早世したバス・バリトンのノーマン・トリーグルら逸材が現れたことは、米国のオペラ界に疎い小生だって知っている。
本書をぜひ読んでみようと思いたったのは、ルーデルがクルト・ワイル復興の立役者のひとりで、《人質》《銀の湖》《ロスト・イン・ザ・スターズ》の全曲録音を残したことが最大の理由だが、ニューヨーク・シティ・オペラでの彼の前任者はヨーゼフ・ローゼンシュトック(1930~40年代の日本楽壇の大恩人。渡米後はジョゼフ・ローゼンストック)であり、この回想録にはきっと彼についての記述が含まれているに違いないと踏んだからなのだ。
試しに巻末の索引を調べてみると、やっぱりそうだ、Joseph Rosenstock の名が十頁にわたり出てくる。クルト・ワイルについても同様だ。これは必ずや有益な一冊に違いない。こういう勘はよく当たる自信がある。
今日はこの本をずんずん読み進めている。曰く「ローゼンストックは歌手たちや楽団のメンバーから尊敬されたが、愛されなかった」「ローゼンストックは立派だが限界のある指揮者だった。彼の指揮法はなるほど厳密で正確なものの、些か硬直しており、歌手たちに自由を与えなかった」云々。
いやはや、さもありなんと深く頷く。ローゼンシュトックのニューヨーク時代は不遇だったと伝え聞くが、なるほどそれを裏書きするような証言が次から次へと。
それはそれとして、ルーデルの筆致(というか、本書はおそらく口述筆記なので「口跡」というべきか)はすこぶる率直で流暢、描写は驚くほど鮮やか。これはきっと面白い読書体験になりそうだ。