前半の《西郷と勝》は大正末から昭和初年にかけて初演された三部作《江戸城総攻》の一部分(二場面)を取り出したものといい、下題どおり西郷隆盛と勝海舟が談判して平和裏に江戸城明け渡しを決める経緯を描いたもの。
両者の(というか大半は西郷どんの)長広舌が延々と続き、歌舞伎らしい華や動きが一切ない退屈な芝居である。二世市川左團次のために書かれた作品というが、初演時はどうだったのだろう。新劇に拮抗できるリアリティを歌舞伎の台詞回しで醸し出そうという企てには無理がありすぎる。
ここで三十分間の休憩。座席で弁当が食べられるのは歌舞伎座ならではの愉しみだ。文字どおりの幕の内弁当。
後半の《裏表先代萩》も初見だが、元になった先行作《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》は、家人も小生も四年前に国立劇場で通し狂言を観ているので、その特異な世界にすんなり入っていけた。
御殿の場(乳人の政岡が足利家の嫡男を救うために我が子を犠牲にする)や、その床下で鼠に化けた悪漢の仁木弾正が大立ち回りを演ずる場面(床下の場)は《伽羅先代萩》そのまま。ただし町医者の下男の小助がまんまと大金をせしめるという別筋が冒頭に(かなり強引に)挿入されるので、芝居の起承転結は滅茶苦茶である。大詰で管領の細川勝元が遠山の金さんよろしく裁いて何もかも一件落着という結末もご都合主義だ。
とはいうものの、本心をおし隠して息子を見殺しにする政岡(中村時蔵)も、大悪党なのに霊力が漲って魅力的な仁木弾正(尾上菊五郎)も、ぞくぞくするような凄い名演だ。菊五郎は早変わりで小悪人の小助も演じていた。
なにより座席が花道に手が届くような絶好の場所だったから、役者の息づかいやパワーがじかに感じ取れた。こんな体験は滅多に出来はしない。
→《裏表先代萩》公演チラシ
終演は四時を大きく回っていた。折角なので歌舞伎座のほうぼうを見て回り、そのあと築地から京橋まで界隈の裏通りを散策。春らしい長閑な日和に恵まれ、なかなか暮れない午後を心ゆくまで堪能した。