今日はスクリャービンとメシアンの命日だという。揃いも揃って苦手な作曲家なのでやり過ごすが、4月27日はムスチスラフ・ロストロポーヴィチの命日でもあり、歿後きっかり十年になると聞くと、これはもう黙ってはいられなくなる。
十年前の今日、訃報を伝え聞いて直ちに書いた「スラ―ヴァ死す」を引こう。
ムスチスラフ・ロストロポーヴィチの訃報が入った。3月27日に80歳の誕生日を祝ったばかりだが、その頃から健康を害しており、かなり重篤な状態と報じられていた。ソルジェニーツィンを匿い、怯むことなくソ連国家に楯ついた信念と勇気の人、一晩でチェロ協奏曲を三曲立て続けに弾いてみせる強靭な体力の持ち主も、病には克てなかったのだろう。
ロストロポーヴィチを生で聴いたのは1971年の来日時だけだと思う。
国家権力を相手どった深刻な確執のまっただなか、しかも直前に実母を喪うという最悪な状況下での公演だったが、その逆境が彼に常ならぬ昂揚をもたらしたのか、どの日の演奏も壮絶そのもの、怖いほどの出来だった。10月27日/東京文化会館
NHK交響楽団第565回定期公演
ショスタコーヴィチ: チェロ協奏曲 第2番 (日本初演)
*ラインハルト・ペータース指揮 NHK交響楽団
11月1日/東京文化会館
ガリーナ・ヴィシネフスカヤ ソプラノ独唱会
*ピアノ伴奏=ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ
11月2日/日比谷公会堂
チェロ独奏会
ベートーヴェン: チェロ・ソナタ 第3番
バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第5番
プロコフィエフ: チェロ・ソナタ ほか
*ピアノ伴奏=アレクサンドル・デデューヒン
11月6日/東京文化会館
協奏曲の夕
ハイドン: チェロ協奏曲 ハ長調
シューマン(管弦楽編曲=ショスタコーヴィチ): チェロ協奏曲 (日本初演)
ドヴォルザーク: チェロ協奏曲
*森正 指揮 NHK交響楽団これだけ聴けばもう充分かもしれない。
とりわけ「協奏曲の夕」は凄かった。一夜で続けざまに三曲というのも尋常でないが、最後のドヴォルザークの巨大な造形、底知れぬ深淵を覗き込むような演奏に、誰しも「これは只事じゃない」と感じたはずだ。二楽章末尾のチェロのモノローグの寂寥感は、聴いていて胸が張り裂けそうだった。消え入るような最弱音。しわぶきひとつしない客席の静寂。
この晩のNHK交響楽団はロストロポーヴィチに触発されたのか、いつになくパッショネイトに燃え上がった。ドヴォルザークが終わると、長身のロストロ氏が小柄な森正氏の体を抱え込むように、力をこめてハグしていた姿を昨日のことのように思い出す。
心よりご冥福をお祈りしたい。 この追悼文から早くも十年が過ぎ、生のロストロポーヴィチを聴いた思い出も、もはや四十六年前に遠ざかり、些か輪郭は薄らいではいるが、これら四日間の濃密な体験は死ぬまで記憶装置のどこかに留まり続けるであろう。
この日に聞くべきディスクはやはりこの二枚だろう。
"Gutnikov & Rostropovich -- Brahms - Schumann"
ブラームス:
ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲*
シューマン(ショスタコーヴィチ編):
チェロ協奏曲
ヴァイオリン/ボリス・グトニコフ*
チェロ/ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ
ボリス・ハイキン指揮
ソヴィエト国立交響楽団1963年10月5日、モスクワ音楽院大ホール(実況)
Yedang YCC-0116 (2002)
→アルバム・カヴァー"Rostropovich -- Brahms - Dvorák"ブラームス:
ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲*
ドヴォジャーク:
チェロ協奏曲
ヴァイオリン/ボリス・グトニコフ*
チェロ/ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ
ボリス・ハイキン指揮
ソヴィエト国立交響楽団
1963年10月5日、モスクワ音楽院大ホール(実況)
Russian Disc RD CD 11 114 (1992)
→アルバム・カヴァーどちらも出処が怪しい海賊盤もどきだが、記載された収録日が正しいならば、これら三曲は同じ機会に奏されたもののようだ。ロストロポーヴィチお得意の「協奏曲三曲たて続け」の演奏会である。当夜のプログラムはおそらくこうだったろう。
シューマン: チェロ協奏曲
ブラームス: ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
ドヴォジャーク: チェロ協奏曲ブラームスのドッペルコンツェルトにはオイストラフ、セルと共演した決定的な名盤があり、ドヴォジャークはタリフ、ボールト、カラヤン、ジュリーニ、小澤など錚々たる指揮者との共演ディスクがある。したがって小生がここで最も耳を欹てたのはシューマンである。
ロストロポーヴィチはかねてからシューマンの協奏曲の管弦楽法の不首尾を嘆いており、刎頚の盟友だったショスタコーヴィチに願い出て、新たなオーケストレーションを施してもらった。その新版の世界初演がほかでもない、この日の演奏なのである。ロストロポーヴィチはその後、このショスタコーヴィチ版による正規録音を残さなかったので、この実況録音はきわめて価値が高い。
(まだ聴きかけ)