高校入試に受かったら褒美に貰えるはずのFMチューナー付きトランジスタ・ラジオを、親にせがんで一年ほど前倒しして、中学三年のとき買ってもらった。1967年の夏のことだ。
それからというもの、早朝から深夜まで、FM放送で流れるありとあらゆる音楽番組を貪欲に聴き漁った。それを機に、わが嗜好もまた英米ポップスのヒットチャートからクラシカル音楽へと急激に変転していった。ビートルズやホリーズやバーズからバッハやブラームスやドビュッシーへ。そうなると、もうどうにも止まらない。
当時NHK・FMの夜十一時台に「朗読の時間」という帯番組があった。名の通った声優が古今の書物を少しずつ――毎回十五分ほど――読み進めていく。一冊を読み通すのに、優に一か月はかかったのではないだろうか。
今もよく憶えているのは、ジードの『狭き門』、『モーパッサン短篇集』、『トム・ソーヤーの冒険』、『アンデルセンの『即興詩人』、『ピノキオ』、ジュール・ヴェルヌの『二年間の休暇(=十五少年漂流記)』、プーシキンの『大尉の娘』、ピエール・ロティの『東洋の幻影』、パメラ・L・トラヴァース『風にのってきたメアリー・ポピンズ』などなど。
こうして標題を書き連ねると、西洋文学の古典と児童文学が中心のようにみえるが、これはヨーロッパ好きの小生がたまたま親しんだというだけで、ほかに森鷗外や幸田露伴の諸篇、和辻哲郎の『古寺巡礼』があり、スウェン・ヘディンの旅行記『さまよえる湖』なども読まれたはずだ。
幼稚な田舎の高校生にとって、この番組は読書面における良きチチェローネ(指南役)を果たしていた。よほど印象が強かったのだろう、半世紀後も作品名がすらすら出てくる。わが情操教育に深甚な影響を及ぼしたラジオ番組だったのだ。
そうした「耳からの」読書体験とは別に、「朗読の時間」は未知の音楽との貴重な出逢いの場でもあった。
番組の始めと終わりには、いつも同じテーマ音楽が流れるのだが、それが読まれる作品ごとに替わるのである。冒頭で聴かれるのはほんの十秒足らず。そのあたりのタイミングで、アナウンサーの声が「朗読の時間です。青柳瑞穂訳『モーパッサン短篇集』の第十二回、今日は『二人の友』の後半を聴いていただきます」のように被さり、音楽はほどなくフェイドアウト。番組の終わりも同様だが、たまたま朗読が短かった日は音楽が若干長く、ひょっとすると一分ほど流れるときもあった。
番組の性格上、テーマ音楽には静謐で緩やかな曲が選ばれていたのだが、その選曲のセンスが抜群に良かった。
よほど音楽好きのプロデューサーだったのだろう。朗読される文学作品とも絶妙にマッチして響き合うのが、子供心にもよくわかった。一見すると意外な取り合わせでも、流されると作品内容とそれなりに調和するのだ。
朗読作品とテーマ音楽の組み合わせを思い出すままに記すと、
■ 『モーパッサン短篇集』 ⇒ モーツァルト《ジュピター》第二楽章
■ 『トム・ソーヤーの冒険』 ⇒ ドビュッシー《神聖な舞曲》
■ 『二年間の休暇』 ⇒ ドビュッシー《夜想曲》より「雲」
■ 『東洋の幻影』 ⇒ ラヴェル《亡き王女のためのパヴァーヌ》
■ 『風にのってきたメアリー・ポピンズ』 ⇒ プロコフィエフ《古典》第二楽章
■ 『古寺巡礼』 ⇒ ホルスト《惑星》より「海王星」
半世紀も前の些事をよく憶えているものだと驚かれたかもしれないが、実は手許に一枚の古びた葉書がある。思い余った小生がNHKの番組宛てに往復葉書で「それぞれのテーマ音楽はなんという曲ですか」と尋ねたところ、担当者から懇切な返信があったのである。それをもとに列挙したまでのことだ。
クラシカル音楽の新参者だった当時の小生には、何もかもが未知の領域で新鮮だったという事情もあったのだが、「朗読の時間」から音楽への意外な経路は、自分にとって思いのほか重要かつ決定的な意味をもっていた。なにしろドビュッシーを知る契機となったのだから。
もうひとつ、この番組で忘れがたい出逢いがあった。それについては後日また。
(次回につづく)