それでも確実にいえそうなのは、これは以前からモノクロ写真のみで存在が知られていた《睡蓮の池――柳の反映》(レゾネ番号 W1971)と間違いなく同一作品であるということだ。サイズ(現状で199.3 × 424.4 cm)が合致するし、なにより点在する睡蓮の花(赤い花弁)の位置が同じだからだ。
見るも無残なありさまだが、それでも画面の下半分はかなり原型を留めており、モノクロ写真と見較べると往時を偲ぶことが可能であり、画面の左下にはモネの自筆で署名・年記が "Claude Monet 1916" と書き加えられているのが何より重要である。
モネはこの時期の《睡蓮》連作を一度も公開せず、小ぶりの習作であれ、縦2メートルのパノラマ的な大作であれ、展覧会への出品も、画商への引き渡しも一切しなかった。したがって、膨大な点数が残された晩年の《睡蓮》連作がどのような経過で、いかなる順序で描かれていったか、そのクロノロジーについては多くの不明点がつきまとう。
その意味で、本作は生前のモネが売却に同意した数少ない「完成作」と看做すことができ、松方に引き渡す時点(おそらく1921年と推察される)で、モネが「1916年」の年記を自筆で書き込んだことの意味は――実際の制作/完成年がこの年か否かは別として――きわめて大きいものだろう。
公表されたやや不鮮明なカラ―写真(透明な保護カヴァー越しに撮られている)からは即断できないが、この《睡蓮――柳の反映》の色調はどうやら想像した以上に明るく、青の濃淡による精妙な諧調を響かせているのが、正直なところちょっと意外だった。
モノクロ写真からは、暗く重々しい色調に覆われた、物狂おしいほどに表現的な作品(北九州市立美術館の《睡蓮、柳の反影》W1861のような)が想像されたのだが、現状をみる限りでは、画面のトーンは思いのほか明るく、全体の青の色調はむしろ、直島の地中美術館が所蔵する《睡蓮、柳の反映》W1857に似通ったものだった(らしい)と判明した。
ジヴェルニーのアトリエでこの絵を実見したとき、松方を即座に魅了して購入を決断させたのは、この青の美しく透明な響き合いだったのではないか――そんな勝手な想像すら抱かせる。とはいえ、1921年の時点で、まだ評価の定まらないモネの最新作を果敢に蒐集した彼の慧眼と英断は、いうまでもなく驚嘆に値するものである。
国立西洋美術館の馬渕明子館長は記者会見で、「破損状態が心配だったが、よく残っていたなと思う」と感慨を漏らされるとともに、専門家らしく冷静に「美術史的にも重要な作品。《睡蓮》の研究の基準になり得る」と発言した(毎日新聞より)。けだし金言というべきだろう。