これはちょっと驚愕するほかないニュースだ。
小生のクロード・モネに関する知見は、学芸員時代にモネの《睡蓮》に関する展覧会を二度(1995年と2002年)やった際の俄か勉強に基づいており、ひどく古びて劣化しているので、そのつもりでお読みいただきたいのだが、小生が諸書を繙き、信じ込まされていたストーリーは以下のようなものだ。
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松方幸次郎は自らジヴェルニーにモネ翁を訪ね、あれこれの作品を譲ってくれるよう直談判した。今も上野の国立西洋美術館に残る「松方コレクション」のモネは、そのようにして入手した貴重な作品群である。
その際、松方は進行中だったモネ晩年の《睡蓮の池》の巨大なカンヴァス群(最終的にはオランジュリー美術館に収まるべきシリーズ)も目にし、そのうちのどれかを譲渡してくれるよう申し出たという。
モネは「これは自分のライフワークで、最終的には国家に寄贈するつもりだ。どれも制作中の未完成作なので、公開もしていないし、売却するつもりもない」とにべもなく断った。
ところが松方はなおも強く懇願を続けたため、根負けしたモネは「それでは例外的に、一点だけならお譲りしよう」と譲歩したという。
このとき、松方は驚くべき選択をした。一連の大作シリーズのなかで最も色調が暗く、最も筆触が激しく、最も晦渋で難解な、一見したところ何が描かれているのかも不分明な一枚――当時の誰もが購入に躊躇するような作品――を大胆にも選び出したのである。
それが《柳の反映》と呼ばれる作品だった。推定サイズは縦2メートル、横4メートル強。かなりの大作である。
この破天荒な作品はその後、行方不明になってしまい、戦後返還された「松方コレクション」には含まれていなかった。
小生が知り得た情報によれば、1930年代末だったと記憶するが、松方の蒐集美術品を預けておいたロンドンの保管倉庫で不慮の火災が発生し、多くの作品が失われたことがあった。モネの貴重きわまる大作はそのとき焼失してしまったと考えられる。
ゴッホのアルル時代の傑作《ゴッホの部屋》(現在はオルセー美術館蔵)とともに、松方コレクションの双璧をなす(はずだった)モネ畢生の大作は、こうして永遠に地上から姿を消した・・・
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小生は知り得たのは、ざっと以上のような悲しい顛末だった(記憶だけで書いたので、多少の文飾はご寛恕されたい)。
この「失われた大作」は、辛うじてモノクロ写真が残されており、参照したカタログ・レゾネには以下のタイトルと整理番号入りで掲載されていた。
《睡蓮の池―柳の反映 Le Bassin aux nymphéas, reflets du saule》
制作年:1920~26
サイズ:200 x 425 (?) cm (推定)
作品番号:W1971
以上の情報をそのまま鵜呑みにした小生は、1995年の展覧会カタログにはその旨を記し、ご丁寧にもモノクロ写真(→これ)まで転載して、この幻の大作の不在を嘆いたのである。
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ところが近年(2016年)大きな発見があった。
ロンドンのテート・ギャラリーのアーカイヴで、松方がロンドンの倉庫に預けていた美術品の一覧リストなるものが見つかり、そこには絵画255点、素描82点、版画554点など、総計千点近い作品が列挙されていた。
ところが不思議なことに、そのなかに肝心のモネの絵は含まれていなかったというのである!
そうなると、「松方がモネから譲り受けた《睡蓮》の大作は、惜しくもロンドンで焼失した」という従来の通説は、その前提となる論拠を失い、大元から揺らいでしまうではないか。
そこに来て、今回のこの新情報が意味するところは一体なんなのか。損傷を受け、部分的にしか残らないにせよ、このモネ作品が現存するというのは、なんだか夢のような話だ。
いずれにせよ、事の真相は、国立西洋美術館が明日(2月26日)催すという記者会見の場で明らかにされるだろう。