満開の桜があっさり散ったと思ったら、間髪を入れずという塩梅で八重桜がたわわに開花し、あれよあれよという間に霧島躑躅が、次いで躑躅が咲きだした。つい先日まで枯枝同然だった藤棚にも若葉が芽吹き、早い枝には薄紫の花房がいくつも垂れ、羽虫が忙しそうに蜜を吸っている。ふと中空を見遣ると燕が縦横に飛び交う。季節の歩みはどうにも止まらない。
4月23日はセルゲイ・プロコフィエフの誕生日である。
"Prokofiev -- Philharmonia Orchestra - Nicolai Malko"
プロコフィエフ:
組曲《三つのオレンジへの恋》作品33a
交響曲 第一番《古典》作品25
交響曲 第七番 作品131
ニコライ・マルコ指揮
フィルハーモニア管弦楽団1955年2月、ロンドン、キングズウェイ・ホール
EMI Classics for Pleasure CD-CFP 4523 (1989)
→アルバム・カヴァーニコライ・マルコ(正しくはマリコ、むしろマリコーだろうか)はプロコフィエフよりも八歳年上だが、ペテルブルグ音楽院ではニコライ・チェレプニン教室で同窓であり、早くから近しい間柄だった。1915年には作曲家の独奏で第二ピアノ協奏曲を指揮し、18年に《古典交響曲》が作曲家の指揮で世界初演された演奏会で、他の曲目はすべてマルコが振った。ソ連を去ったプロコフィエフが1927年に一時帰郷したとき、マルコはレニングラード・フィルの常任指揮者となっていて、両者はまたも第二ピアノ協奏曲で共演を果たしている。
1929年にマルコは最終的にソ連と訣別し、プロコフィエフは36年にモスクワ永住を決断・・・と、その後の両者のヴェクトルは逆向きだが、この間も両者は32年にコペンハーゲンで、32年と35年にプラハで再会し、第三ピアノ協奏曲で共演している(
→マルコとプロコフィエフ、1935年、プラハ)。マルコはプロコフィエフが最も信を置いた指揮者のひとりだったのである。
革命後の混乱期にあって、若きショスタコーヴィチの心強い盟友にしてストラヴィンスキーやプロコフィエフの新音楽の紹介者としてソ連楽壇を牽引したマルコも、出国後は実力に比して活躍の場に恵まれず不遇な後半生を託つ。
辛うじてウォルター・レッグの信任を得て、SP末期からLP初期にかけてEMIにかなりの録音が残るのは不幸中の幸いといえよう。
とりわけ晩年に至って当時の最新技術を用いたステレオでプロコフィエフの三作品を録音できたのは、後世の我々にとってまたとない僥倖である(英EMIが試験的に行った初のステレオ・セッションという)。作曲家の謦咳に接し、密接な協働関係にあったマルコのプロコフィエフ解釈にはどこにも無理がなく、清新そのもの。これぞオーセンティックな解釈といいたくなる。
せっかくの記念日なので、プロコフィエフをもう一枚。
"Leila Josefowicz -- Prokofiev: Violin Concertos 1 & 2"
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲 第一番
チャイコフスキー: 憂鬱なセレナード
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲 第二番
ヴァイオリン/リーラ・ジョゼフォウィッツ
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団1999年5月20、21日、モントリオール、サン=トゥスタッシュ教会
Philips 462 592-2 (2001)
→アルバム・カヴァープロコフィエフが遺した二作のヴァイオリン協奏曲を組み合わせたディスクはオイストラフ、シェリングこのかた山ほどあって、正直なところ本CDはそれらに伍して特筆すべき名演奏とまではいえない。独奏は流麗にして甘美だが、まあ可もなく不可もなく、伴奏指揮も手堅い職人芸の域を出ないだろう。
それなのに記念日にこれを棚から取り出したのには相応の理由があってのことだ。三年前の今日ここに書いた記事から一節を引こう。
[・・・] だが本盤には唯一つ、他のディスクでは代えがたい、比類なき特徴が備わっているのだ。
このCDを価値あらしめているのは、収録された演奏そのものよりも、むしろ随伴するライナーノーツなのである。楽曲解説をほかならぬノエル・マン女史が書いているのだ。滅多にないことだ。しかもその内容が実に素晴らしい。
多忙な彼女がCDライナーを寄稿すること自体が珍しいのだが(他に《三つのオレンジへの恋》全曲盤位か)、いったん執筆を引き受けたならば、通り一遍な文章で済ませないのが彼女ならではの流儀である。アーカイヴ管理者という立場を最大限に生かして、ノエル女史はそれまで誰も省みることのなかったプロコフィエフとヴァイオリン奏者ロベール・ソエタンス Robert Soëtens との未公刊の往復書簡に目を通し、両者の間で何が起こったかを探求している。云うまでもないことだが、このソエタンスこそはプロコフィエフ円熟期の不滅の傑作、第二ヴァイオリン協奏曲の発注者にして初演者なのである。
ノエル女史のライナーノーツはアーカイヴ史料を踏まえて第二協奏曲の誕生を跡づけた実証的な内容であり、本来ならば学術論文にでも仕立てうるような貴重な情報を含んでいる。これまで注目されてこなかったが、プロコフィエフ研究者ならば刮目して熟読すべき好エッセイである。(まだ聴きかけ)