いやはや、またしても難しい原稿執筆に辛吟している。本来の締切は昨日だったのだが、とても終わらないので連休明けまで延ばしてもらった。
書いているのはCDのライナーノーツ。これが実に厄介な代物だ。収録曲の大部分はきわめて珍しい作品ばかりなので、机の上には参考書目が山と積まれ、調べに調べているのだが、疑問点は一向に解消しない。
傍らで家人は「出来もしない仕事を素人が軽はずみに引き受けるからよ。自業自得ね」と冷たく言い放つ。御説ごもっとも、実にそのとおりなのだ。
頼まれたのは青柳いづみこさんが四月に出される《クロード・ドビュッシーの墓》というCDの曲目解説である。
今年はドビュッシーの歿後100年にあたっていて、それにちなんで、さまざまな作曲家が彼に捧げたオマージュ作品を17曲も集めて、一枚のアルバムにまとめようというタイムリーな好企画なのだ。
その中核をなすのは、彼が亡くなって二年経った1920年、フランスの音楽雑誌『ルヴュ・ミュジカル』が刊行した追悼楽譜集に収められた楽曲だ。題して『クロード・ドビュッシーの墓 Tombeau de Claude Debussy』。
「墓(トンボー)」とは、音楽用語で「故人を讃える追悼曲」ほどの意。フランス・バロック期に多くの先例がある。
この楽譜集に参集した顔ぶれが目覚ましい――デュカ、ルーセル、マリピエロ、グーセンス、バルトーク、フローラン・シュミット、ストラヴィンスキー、ラヴェル、デ・ファリャ、サティ。当時のフランス内外の有力な作曲家たちがこぞってドビュッシーに追悼曲を捧げる。
小生はこの古い楽譜集の現物をたまたま架蔵しており、それを青柳さんにお見せしたことがある。これが端緒となって、そこに他の機会に作られたさまざまなオマージュ曲(日本人の作品も三曲ある)も付け加えることで、一枚の記念アルバムが出来上がったという次第。
小生の役目は楽譜集をお貸しするところで終わっていたはずなのに、一月半ばになって急にライナーノーツを書くように強く勧められた。きっと他に書く人が見つからなかったのだろう。
青柳さんのアルバムに小生が解説を寄せるのは、一昨年の高橋悠治さんとの連弾によるCD《大田黒元雄のピアノ》についで二度目。あのときもひどく緊張し、責任の重さに押しつぶされそうだったが、今回は収録曲の多様さ、稀少さともに前回の比ではなく、執筆に伴う困難は優に上回るほどだ。
昨日の締切日の時点で、原稿はとっくに所定の枚数を突破している。書かねばならないこと、判明した事実がいろいろあって、収拾がつかなくなりそうだ。レコード会社にお願いして制限字数を増やしてもらい、今も苦しみながら続きを書いているところだ。仕上がるのは明日なのか、はたまた明後日か。