五月に東京・早稲田大学の「桑野塾」という会でロシア・バレエについて話をすることになっている。一か月後に迫ってきた。そろそろ告知をする時期だ。主宰者のHPから口上を書き写す。
第43回 桑野塾
5月20日(土)午後三時~
早稲田大学 早稲田キャンパス16号館820号室
発表者/沼辺信一
演題/
ほとんど誰も観られなかった《マリインスキー劇場初来日100周年展》
1916(大正5)年6月16日から三日間、東京の帝国劇場で初の「露國舞踊」公演が催されました。出演者はエレーナ・スミルノワ、ボリス・ロマノフ、オリガ・オブラコワの三名。ピアノ伴奏による小規模な催しでしたが、彼らはペテルブルグの帝室劇場(マリインスキー劇場)バレエ団の正団員であり、このときチャイコフスキーの《白鳥の湖》の一部(「二人舞踏」すなわちパ・ド・ドゥー)や、サン=サーンスの《瀕死の白鳥》などが初めて踊られた意義は、日本バレエ史に特筆すべきものといえましょう。
昨年の12月26日、この初来日公演100周年を記念する重要な展覧会「純粋なる芸術」が東京・狸穴のロシア大使館で開催されました。新発見の史料をふんだんに用いた展示は、マリインスキー劇場の現総裁・芸術監督ワレリー・ゲルギエフの肝煎りでまずペテルブルグ、次いでウラジオストクで公開され、最終的に東京へ巡回したものです。当日は数十名のバレエ関係者を招いた内覧会が開かれ、その様子はNHKのTVニュースでも報道されました。にもかかわらず、その後ロシア大使館は「ここは美術館ではない」との理由から展示を一般公開せず、観覧依頼や問い合わせにも応じなかったため、この貴重な展覧会は、バレエ史の専門家を含め、ほとんど誰の目にも触れずに幻のまま幕を閉じました。残念というほかありません。
そこで今回の桑野塾では、ロシア大使館側とかけあって、この展覧会を30分間だけ観る機会を得たという沼辺信一氏に、展示内容とそこから明らかになった新事実、さらには来日公演を観た100年前の日本人たち(大田黒元雄、山田耕筰、石井漠、与謝野晶子、有島武郎ら)の反応について、詳しく報告してもらいます。「桑野塾」とはロシア・アヴァンギャルド研究の泰斗である桑野隆教授を囲む勉強会。早稲田の教室を借りて年に五、六回ほど催され、ロシア文化を中心にさまざまな分野の研究者や実践者が発表を行う。大学の偉い先生も、市井の研究家も、分け隔てなく膝つき合わせて語らえる貴重な場である(
→桑野塾HP)。
小生はこれまで2012年(第十五回)、2013年(第二十回)、2014年(第二十七回)とここで三度「日本人のバレエ・リュス体験」というテーマで発表したが、今回はこれまでとは些か趣を異にし、独自の研究成果というよりも一観覧者が目にした展覧会報告の性格が色濃い。
去年の暮も押し詰まった12月26日、たまたま点けた夕方のNHK・TVのローカルニュースに思わず耳を欹てた。曰く、
ロシアのマリインスキー劇場のバレエ団が日本で初めて公演してから百年になります。これを記念して今日から東京のロシア大使館で展示会が始まり、アファナシエフ駐日大使は「プーチン大統領の訪日をきっかけに、文化面での交流をよりいっそう進めたい」という考えを示しました。会場では百年前、東京の帝国劇場で《白鳥の湖》などが上演されたときのプログラムや写真など、およそ五十点が展示されています。これは見逃せないぞと翌日さっそくロシア大使館に電話したが、日本語がまるで通じず、どうにか意思疎通したものの「担当者がいない」「わからない」とサッパリ要領を得ない。そうこうするうちに年末年始の休みに入ってしまった。察するところ大使館は展覧会初日の内覧会でごく少数の招待客に披露したきり、展示を一般公開してはいないらしいのだ。非公開の展覧会とは前代未聞ではないか!
どうしても観たいと念じた小生は桑野塾の世話人のひとり宮本立江さんと留学生のクセニヤ・デシャテニコワさんの力を借り、「1月13日の午後二時から三十分間だけ」という条件付きで大使館の展示担当者から観覧許可を取りつけ、どうにか辛うじて展示を瞥見できたのである。
仄聞するところでは、ロシア・バレエ史を専攻する研究者の方々も、小生と同じく大使館に問い合わせたが一向に埒が明かず、挙句の果ては「ここは大使館であって、美術館ぢゃない!」とけんもほろろの応対に遭ったそうな。今回のレクチャーの標題「ほとんど誰も観られなかった」は決して誇張ではないのだ。
大使館の非常識な対応とはうらはらに、展示そのものはたいそう素晴らしかった。新発見の史料を駆使した学術的にも高度な内容だし、展示パネルは露・英のバイリンガルでとても親切。誰にでもわかるよう懇切丁寧な説明がなされていた。このまま例えば早稲田の演劇博物館の一室ででも展示したら、きっと多くの観客に驚きとともに迎えられたはずだ。
このような成り行きで、「幻」と化した重要な展覧会の数少ない目撃者となってしまった小生は、桑野塾の世話人たちと相談して、目にした一部始終を紹介し、明らかになった新事実をお伝えすることにした。そうすべき義務が生じたからだ。