開花から満開までに手間取り、好天に恵まれぬまま過ぎつつある今年の観桜シーズン。すっきり晴れた今日、せめてもの見納めにと家人と語らい、義弟の車にまたも同乗させてもらい、埼玉県を東武伊勢崎線にほぼ沿って北上し、幸手(さって)という鄙びた町へと赴く。埼玉育ちだから幸手の名は知っていても足を踏み入れるのはこれが初めてだ。待ち合わせの東川口から一時間ほどのドライヴ。義弟の話によればここが県内随一の桜の名所なのだという。
幸手の市街地を過ぎると目指す「権現堂堤」が車窓から見えた。間違いようがない。堤に沿って延々と桜並木が延びているからだ。それも半端でない長さである。途切れなく八百五十メートルも続いているらしい。
傍らの駐車場はすでにかなり混みあっている。堤に上がると、さすがにこれは壮観だ。土手の上に続く桜並木といえば、東京ならば市ヶ谷や四谷が思い浮かぶが、この幸手の堤は、なんというか規模と風格が違う。植えられた桜樹はどれも歳ふりた老木であり、それが左右からトンネル状に覆いかぶさる。
先日の「見沼たんぼ」とは違い、この桜並木は平日というのに凄い見物客である。もうどの樹も満開を過ぎ、そよ吹く風にも花吹雪が散りかかる。この調子だと一両日であらかた散ってしまうだろう。だからこその人出なのだ。
堤を端から端まで花のトンネルをゆっくり通り抜けたら、少し戻って途中の階段から反対側、すなわち中川の河原へ降りると、そこは一面の菜の花畑。黄色が輝いて目に痛いほどだ。菜の花と満開の桜、そして抜けるような空の青。さながら極楽のような眺めである。中川の対岸へ吊り橋を渡ると、正面に大きな水面が見えてきた。ここは権現堂調整池もしくは行幸(みゆき)池といい、かつて東京湾に注いでいた時代の利根川本流の名残りなのだという。この周囲にも桜が植えられていて、高台からの眺望は甚だ見事。池の向こうは茨城県だそうだ。
再び権現堂堤に戻ると、中ほどの茶店で一服。団子と甘酒をいただく。
贅沢な話だが、これだけ沢山の桜を観るともう飽和状態になって何も感じられなくなる。たまたま雑談で利根川水域の話になり、江戸時代の大工事で江戸川に利根川の水が分流された顛末が話題になる。それならばと分流地点の関宿(せきやど)へ行ってみようと衆議一決。ここから車だと半時間くらいだろうと義弟。
幸手は埼玉県だが、関宿は千葉県野田市に含まれる。千葉の地図をみると左上方に象の鼻みたいに伸びた一郭があるが、その先の突端に位置するのが関宿なのだ。ここは利根川から江戸川が分岐する(往時の)交通の要衝に位置し、往時は年貢米や物産品の積み下ろしで栄えた。幕府はこの地を直轄下に置き、川岸に立派な城を築き、将軍の近親者を藩主とした。
今の関宿はなんの変哲もない田舎町で往時を偲ぶよすがとて無いが、かつての城の近傍には「千葉県立関宿城博物館」という堂々たる城郭建築が聳えている。もちろんコンクリート製のフェイク建築である(
→これ)。
(まだ書きかけ)