たまたま点けたTVの演奏会中継で、樫本大進がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾いている。派手さはないが、とても清潔で流麗な、ひとことで云えば心に沁みる演奏だ。フィリップ・ヨルダン指揮ウィーン交響楽団の演奏会(12月1日、サントリーホール)。
ふと思い出したのだが、ずっと以前この人のメンデルスゾーンを聴いた。それも厳寒の異国の地で──出張先のサンクト・ペテルブルグでのことだ。
2001年1月、展覧会の予備調査ではるばる北の都まで出向いた。夕刻ホテルに着き、旅装を解くなり玄関ホールにとって返し、コンシエルジュに訊ねてみた。「今夜、フィルハーモニーでは何かやっているか」と。今ならまだ切符が取れるというので、一も二もなくお願いした。
闇に包まれたネフスキー大路をとぼとぼ歩いて演奏会場のフィルハーモニー・ホールまで赴いた。前に来た初夏とはなんという違いだろう。真冬のペテルブルグはさすがに骨身にこたえる寒さだったが、ホールに入るとそこは白い列柱とシャンデリアが眩い別世界だった。ムラヴィンスキーが半世紀間ここを本拠地としたのだと思うと感慨もまた一入である。
オーケストラはもちろんペテルブルグ・フィル。当夜の指揮者はフィンランドから客演したパーヴォ・ベリルンド(ベルグルンド)。メンデルスゾーンの序曲《フィンガルの洞窟》で始まり、シューベルトの《大交響曲》で終わるオーソドックスなプログラム。燻し銀のような、渋く底光りするようなベリルンドの音楽づくり、朴訥だが誠実な指揮ぶり(彼は珍しい左利きの指揮者)が永く記憶に残る演奏会だった。
そのとき二曲目で、今日と同じメンデルスゾーンの協奏曲を独奏したのが樫本大進だった。当時の樫本は弱冠二十一歳、まだベルリン・フィルに奉職する遥か前で、小生も初めてその名前を知った。国際的なキャリアを開始したばかりだったはずだが、素晴らしい美音、瑞々しい音楽性、堂々たるマナー──非の打ちどころのないソロイストぶりで喝采を浴びていた。十七年前のこととて、今日のこの演奏とどこがどう違うかは、もう記憶の彼方なのだけれど。
TV画面をじっと視聴していたら、傍らの家人が云う。「あら、これは《罪の物語》で流れていた音楽ね。これを聴くと、どうしてもあの映画を思い出しちゃう」。
そうなのである。このメンデルスゾーンの協奏曲はヴァレリアン・ボロフチク監督が故国ポーランドで撮った文芸大作《罪の物語 Dzieje grzechu》(1975)で、全篇を覆い尽くすように用いられた音楽なのである。
あの映画をもう一度スクリーンで観たいものだ。崇高さと猥褻さを奇蹟的にひとつに融合した、息を呑むような傑作だったからだ。