漸漸濃雲散 あつきくも ぜんぜんにちりて のちはるゝなり
看看月再明 くもりし空 はれわたり月の光 一天に かがやくをみるべし
逢春花草開 草木も 春にあえば めを出し 花さきさかえ ひいづるなり
雨過竹重青 竹は雨ふればすくすく 色ふかくなり 雨はめぐみうるおすという
▲この人はこゝろ正直にして人のいつはりにのりて苦しむことあり、決して人にだまされるべからず▼こゝろすなをにしてわが分に応じたる事にはげみいそしみなば、やがて春におうて草花が咲き、雨ののち竹がいよいよ青き如し、くるしみありたる後次第によろしきかたちなり、やまい養生せば本ぷくすべし▼よろこびごとのちほどよし▼そしようごとかなえどはかどらずひかえ目にしてよし▼待人おそし▼ふしん、家うつりなどよろずよし▼あきないはうりかいともによろし▼耺は手仕事がよし▼失物出づべし千葉に住む者にとって世田谷は恐ろしく遠い。さながら地球の裏側のサンパウロかブエノスアイレス、いや、それだと方角が違うので、むしろ西方のどこか遠隔地、新疆ウイグル自治区かサマルカンドといった趣なのだ。
今日はその世田谷まで初詣に出向いた。国鉄と地下鉄と私鉄を四本も乗り継いでいく。意を決してシルクロードをはるばる西域まで旅する感覚だ。
いやなに、もっと近在にも神社仏閣はあるにはあるが、せっかくだから旧年中から家人と話題にしていた豪徳寺を訪ねてみようと意見の一致をみたのである。初めてなので駅からの道順がわからず、市街地を迷い迷い歩き、寺域の周囲をぐるり迂回して境内に辿り着く。寺の正面は駅とは正反対の方角を向いているのだ。
上に掲げたのは、その豪徳寺の本堂に詣でたあと、右の建物で招き猫(この寺では「招福猫児 まねぎねこ」と称する)を求めた際、ついでに引いた神籤に記されていた文言である。因みに標題は「第二十二番 吉」。
「
人の偽りに乗りて苦しむことあり、決して人に騙されるべからず」とはまさしく昨年の小生への戒めだ。これに続く一文「
心素直にして我が分に応じたる事に励み勤しめば・・・
苦しみありたる後次第に宜しき形成り」とあるのが嬉しい。
隣で引いた家人の神籤は幸先良く「大吉」。小生のはぐっと控えめな内容で、めでたさも中くらいなのだが、まあ欲張ってはならない。
雲ひとつない好天なので、そのまま広い境内をしばらく散策。
豪徳寺といえばぜひ観ておきたいものがある。どこなのか定かでないまま寺域を歩くと招福殿という建物に出くわした。その左脇の一郭が目指す場所だ。
この寺で縁起物の招き猫を貰い受けた者は、やがて願いが成就すると、お礼として招福殿(招福観音を本尊とし、招福猫児はその眷属である)に持参し、奉納するのが習わしである(天満宮の鷽替神事のようなものか)。だから堂の傍らには大小とりまぜて夥しい数の招き猫が所狭しと並べられている。
その光景を小生は昔スクリーンで観た(
→これ)。クリス・マルケル監督が日本とアフリカで撮った記録映像を詩的なナレーション付きで編集した《サン・ソレイユ Sans soleil》(1983)の一場面である。
無類の猫好きだったマルケル監督が日本で招き猫に惹かれたのにはなんの不思議もないが、豪徳寺へ赴くよう彼に薦めた知恵者はいったい誰だったのか。
冒頭まず日本のどこかの連絡船で眠りこける人々の情景があり、そのあとアフリカの少女の笑顔のアップから「東京の郊外に、猫たちに捧げられた寺がある」というナレーションとともに豪徳寺の場面へと唐突に切り替わり、招き猫がこれでもかと映し出される。そのあと映画がどう展開したかはもう思い出せない。
そんなわけで一度は訪れたかった猫の聖地を目の当たりにして大満足。そのあと招き猫の由来になったという井伊家歴代の墓所を詣でたり、木彫りの猫が軒下の装飾に組み込まれた三重塔を見上げたり。
気がつくと正午を回っていたので正面の山門から出て、長い参道を歩いて豪徳寺をあとにした。名刹の正面玄関というのに飲食店が軒を連ねるような門前町はなく、ごく普通の住宅地なのに拍子抜けした。
そのまま右方へそぞろ歩くと世田谷線の「宮の坂」駅に出た。踏切を渡ったところに世田谷八幡宮を発見、ついでにここにも初詣した。ただし神籤は引かず。
この界隈にも目ぼしい飲食店がないので、結局また世田谷線に沿って「豪徳寺」駅方向へと引き返し、道すがら見つけた手頃な蕎麦屋「福室庵」で昼食。家人はここの名物だという「招福そば」(海老天・蒲鉾・筍・卵焼きなど具沢山)、小生はカツ丼とたぬき蕎麦が二段重ねになった「カツ合わせ」を頂戴する。しごく庶民的な店で、そこそこ美味しくて量もたっぷりで値段もいたってリーズナブル。
満腹のうえ汗だくになって「豪徳寺」駅まで引き返したところで、ふと家人が「世田谷線に乗りたい」と言いだしたので方針変更、最寄りの「山下」駅(小田急線からの乗換駅)ホームでしばし列車を待つ。
ほどなく招き猫を車体にあしらった二両編成(「玉電110周年記念 幸福の招き猫電車」
→これ)が到着。これ幸いと乗り込み、そこから終点の「三軒茶屋」駅まで七駅の小旅行を愉しむ。窓外に民家の軒先が迫り、手を伸ばせば洗濯物に届きそうな沿線風景、都電荒川線か江の電のような眺めを満喫した。
三軒茶屋もひどく久しぶりなので駅の周辺を少しだけ探索。高層タワーが建つ傍ら闇市めいた一郭が未だに健在なのに驚く。
ただし建物と煙突だけ残して銭湯はすでに廃業しているし、三軒あった名画座も全滅し、数年前まであった「三軒茶屋シネマ」も看板を残すのみ。いずれこの一郭も再開発という名の街殺しにあうのだろう。
半時間ほどうろついたあと地下鉄二本と国鉄を乗り継いで家路に就く。帰宅は四時半。家人の万歩計の数字は一万三千を超えていた。