4月3日(月)
必要に迫られて六本木の国立新美術館で「ミュシャ展」を鑑賞。六×八メートルを上回る巨大連作が並び、ここの展示室の天井高が初めて奏功したものの、肝腎の大作群は空虚な時代遅れの絵画にしか思えない。汎スラヴ主義の妄執のなれの果て。大カンヴァスをロール状に巻いて空輸するという危険を冒してまで展覧会をやる価値があったのか。それにしても凄い混雑だ。観るだけ観たら速やかに退散。どこも混雑する昼食時、家人と南青山のデニーズで軽くランチを済ませたあと、青山墓地を小一時間ほど散策。観桜には少し早く、雲行きも怪しいので早々に引き上げた。
4月4日(火)
よく晴れた長閑な日和。義弟の運転する車に家人と同乗し埼玉の「見沼田んぼ」へ赴く。ここは全国有数の桜の名所だそうで、人呼んで「桜回廊」。芝川を挟んで南北に走る二本の見沼代用水に沿って全長ニ十キロ(!)も桜並木が続くという。幼少期の二十年を埼玉で過ごしながら、こんな場所があったなんて小生は少しも知らなんだ。もっとも子供時代には花見になぞ興味なかったけどね。まずは「見沼氷川公園」の傍らに車を止め、用水路に沿ってそぞろ歩く。片側の台地側には住宅地が迫っているが、低地側は昔ながらの農地が広がっている。桜花は五分咲き位だが、春の気分がそこら一面に横溢する。しばらく北上したら見沼大橋で柴川を東へ渡り、今度は反対側の用水路に沿って歩く。こちらも桜並木がうねうね続く。車まで戻るとちょうど昼食時、近傍のパン食堂「サンマルク」で腹拵えしたあと、車で「さぎ山記念公園」へ。鷺の営巣地として名高かった「野田の鷺山」は今や廃絶、ここが跡地だという。小さな記念館で往時の鷺山の写真を眺めていると哀しくなる。自然破壊の果てにこの公園の釣り池やバーベキュー施設などが造られたと知り絶句。公園脇の見沼代用水にも桜並木が続いていたので、気を取り直してここでも川沿いをしばし散策。このあと三たび車で移動、今度は更に北上し、元荒川の河畔に立地する「岩槻城址公園」へ。ここも人気の桜スポットなのだとか、家族連れがそあちこち宴を催して賑やか。屋台もいろいろ出ている。桜はそこそこ咲いていたが、長くいる場所ではないので早々に退散。気がつくともう陽が傾きかけていた。
4月5日(水)
朝一番で千葉市美術館へ赴き「ウォルター・クレインの本の仕事」展を観たあとは馴染の中華「
佳耀亭」で昼食。腹ごなしに千葉駅まで歩き、ふと思いたって総武線で上京、懐かしい駅で降りて歩き、三十年来いつも詣でている小さな寺で心静かに花見。今年もここへ来た。薄曇りだが無上の観桜体験を味わった。帰路ふと新宿で途中下車し、久しぶりのディスクユニオン。二時間ほど費やして収穫はまあまあ。
4月10日(月)
頼まれ原稿がなかなか捗らぬままに締切日。半分ほど書けたところで気分転換に朝から近隣の花見に家人とともに自転車で出かける。目的地は隣町の習志野にある「さくら広場」。パナソニックが十年ほど前に開設した公園である。その名のとおり桜樹、それも染井吉野ばかり五百本ほどが縦横に等間隔で整然と植えられた不思議な場所だ。設計は安藤忠雄。当初は桜の苗木が貧相で寂しい眺めだったが、時を経てそれなりに見栄えのある開花が愉しめるようになった。十時の開園すぐあとなのに、もうかなりの人出。開花状況はほぼ満開(実際は八分咲き位)、まさに見頃である。前後左右を桜に囲まれて散策するとクラクラ酩酊しそうになる。ただし、どの樹木も太い枝は上方で刈り込み、細枝を低く横に伸ばす方針なので、桜らしい自然な枝ぶりを愉しめないのが残念だ。小一時間ほど園内を巡って空腹を覚えたので、近くのイオン・モールで軽くパン昼食。早々に自転車で帰宅して原稿の続き。
4月11日(火)
晴れたら千鳥ヶ淵か市ヶ谷の土手でも歩こうと思っていたのだが雨が止まない。仕方ないので予定変更。本郷で所用を済ませて古書肆「アルカディア書房」へ。未払いのまま取り置きだった大田黒元雄の本を受け取りに行く。ついでに新入荷のあれこれを見せてもらいながら店主の矢下氏と雑談。ヴラジーミル・コナシェーヴィチがカラー挿絵を寄せたクルィロフ『寓話集 Басни』(1937)に愕然となる。闊達さや諧謔味が微塵もなく、糞真面目な写実に終始する。矢下氏曰く「どの絵にもスターリンがいる」。まさしくそのとおり。この名言の記念にと、これも所望した。
4月12日(水)
よく晴れた日。路線バスと京成電車を乗り継ぎ「みどり台」駅下車。ここから千葉大学正門までは指呼の距離だ。颯爽と歩く新入生たちに混じって門を抜け、判りにくいキャンパスで右往左往。早めについたので、あちこちで咲き競う桜を仰ぎ見たあと食堂「フードコート」で混雑を避け早めの昼食。主菜も副菜もサラダも好きなだけ食器に盛りつけ、量り売りで清算するシステムなのが難有い。八百円ほど食したらもう満腹。そのあとは腹ごなしに喫煙所を探し歩いたり、桜の下のベンチで寛いだり、生協の書店で立ち読みしたりして時間を潰したあと、所定の文学部の教室「102」へ。ここで十二時五十分からロシアの現代美術家レオニード・チシコフの講演がある。「公開レクチャー」と銘うたれ「千葉大生と市民を対象」とした催し(
→その概要)のはずだが、聴講者のほとんどは千葉大生とおぼしく、初老の部外者には身の置きどころなく教室の片隅でこっそり話をうかがう。不勉強な小生はチシコフの作品について知るところ尠く、2004年の「いちはらアート×ミックス」で発表された月を象ったインスタレーションも観ていない。だから今日のレクチャーもほとんど白紙状態で聴いた。諷刺画や書籍挿絵、絵本の分野で活躍したあとインスタレーションへ、という道筋は先輩格のイリヤ・カバコフに似ているが、チシコフの作風には皮肉や毒の要素は少なく、もっと詩的で幻想的。空想上の生物「ダブロイド」が登場する奇怪な絵物語、潜水服を着た生物「潜水夫」たちの絵本やインスタレーションなど、これまでに手がけた多様な作品群が、作者自身の解説とスライドで紹介されていく。とりわけ母の古着をリボン状に裂き、編み上げて着ぐるみにした「ヴャーザニク(編み男)」は、ウラルで過ごした少年時代に連なる自伝的な作品らしく、彼の語りにもひときわ熱が籠る。レクチャーはロシア語だが、チシコフの日本への紹介者で親交も深い千葉大の鴻野わか菜准教授の司会と逐語通訳により、細かいニュアンスまでよく伝わった。多岐にわたるチシコフの作風はなかなか一筋縄ではいかないが、最後に紹介された「僕の月」プロジェクトは眩く輝く三日月という親しげな題材と相俟って、国境を越える普遍性をもったものに思える。2004年に市原で展示された《芭蕉の月》《デ・キリコの月》《ロルカの月》に続き、今回は《種田山頭火の月》と《ウィリアム・ブレイクの月》も加わるという。どれもポエティックな、うっとり見惚れるようなインスタレーションであるらしい。大学の授業時間の枠内なのでレクチャーは一時間半きっかりで終了。辞去しようと思ったら、鴻野さんから「お時間があったらお話ししていきませんか」と声をかけられた。彼女とは2004年の「幻のロシア絵本」展で協働した旧知の間柄なのだ。急ぎ教室を撤収すると、同じ校舎の二階の鴻野研究室へと移動し、チシコフ氏、鴻野さん、小生で四方山話。心の準備ができておらず、どぎまぎしたが、チシコフ氏はかなり英語を解するので、英・露・日本語こき混ぜた会話で、どうにかこうにか意思を疎通させる。氏はかつてダニイル・ハルムス詩集に挿絵を描いたことがあり、ブルガーコフの『犬の心臓』や『運命の卵』の挿絵入りの最初の版を手がけたのも自分だ、と口にされたあたりから話は一気に白熱。どの作品も自分の人生から生まれたもので、その根底には詩想があるのだ、と彼は口にした。一時間半ほどの会話のなかで「ポエジヤ」という語が何度となく繰り出された。別れしな、絵本『潜水夫たち Водолазы』の扉にサインして下さった。こんな成り行きになるとは予想もしなかった。お暇してキャンパスに出ると、目の前に満開の桜があった。
4月13日(木)
さすがに昨日の疲れがどっと出たので、今日は遠出は控えて近所の公園で観桜。よく晴れた春日和なので朝と夕方と二度ぶらつく。どの桜の木もほぼ満開になった。