昨日(12月11日)はイタリアの大指揮者ヴィクトル・デ・サーバタ Victor de Sabata(1892~1967)のご命日、それも歿後五十周年だったそうだ。気づくのが一日だけ遅れてしまった。
一般にはミラノのスカラ座の音楽監督を長く務め、逸早くマリア・カラスを主役に抜擢したイタリア・オペラ専門の指揮者という印象が強いだろうが、フランス音楽の分野でもデ・サーバタの業績は見逃せない。なにしろ、彼は若き日にモンテカルロ歌劇場でラヴェルのオペラ《子供と魔法》の世界初演を振って、作曲家から絶賛されているのだ(1925年3月21日)。
あまり知られていないが、彼はフランス近代音楽を重要なレパートリーにしており、ドビュッシーのバレエ音楽《遊戯》の記念すべき世界初録音は(モントゥーでもアンセルメでもアンゲルブレシュトでもなく)デ・サーバタの手になる(1948年2月7日、ローマ、アウグステオ交響楽団 [=サンタ・チェチリア音楽院管弦楽団]、伊EMI)。
デ・サーバタは1953年夏、六十一歳の働き盛りで心臓発作に倒れ、演奏活動からほぼ引退してしまい、晩年まで長い療養生活を余儀なくされた。
世代的にはステレオ録音が残せて然るべき世代だが、LP時代の到来とともに引退したため、その幅広い芸域を偲ぶよすがとなるレコード音源がきわめて少ないのが残念である(その意味で、ロジェ・デゾルミエールやフリッツ・ブッシュとよく似た不遇な境遇だろう)。
彼の指揮した《子供と魔法》の録音がもし残されたら、どんなによかっただろう。若き日にロリン・マゼルはデ・サーバタがピッツバーグで振った《子供と魔法》の生演奏を聴いて多くを学んだと伝えられる。どんな演奏だったか、全く想像できないが、後年マゼルがパリで正規録音した《子供と魔法》の名盤には、その微かな残響が聴き取れると小生は密かに信じている。
今日はせめて、彼がわずかに遺したラヴェルのライヴ録音を聴いて、その一端を遥に偲ぶことにしたい。病に倒れる直前の1953年8月1日、ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを振った《ラ・ヴァルス》をどうぞ。即興的な躍動感の漲った、息を呑むような凄演ですよ(→これ)。
(追記)
指揮者ロリン・マゼルの回想を以下に引く。原文はイタリア語なので、訳文の信憑性は保証できないが。
1948~49年のシーズン、ヴィクトル・デ・サーバタはピッツバーグ交響楽団に初登場して、アメリカ楽壇にセンセーションを巻き起こした。私はそれ以前に、彼のような人物を見たことも聴いたこともなかった。限りないファンタジー、異色のレパートリー、舞台に電流が走るような存在感、各楽器についての該博な知識。これらすべてが相俟って、聴衆と楽団員を昂奮へと誘った。[中略]
なんという演奏会の数々だったろう! 今も私が憶えているのは、ヴェルディの《レクイエム》、ブラームスの《第二》、シュトラウスの《ドン・フアン》、ストラヴィンスキーの《夜鶯の歌》、そしてラヴェルの《子供と魔法》だ(このラヴェルのオペラは、1925年にモンテカルロでデ・サーバタの指揮のもと世界初演された。マエストロが「自分のもの」とした作品だったのだ)。あれから四十年以上になるが、それらの実演は鮮やかな光彩を放つ日々として、私の記憶のなかに若々しく鮮明に残っている。――Lorin Maazel, "Ricordo di Victor de Sabata," 1992.